2018年12月02日

史跡看板散歩-118 雀宮神社

芝塚町公民館に張り付くように建っている、「雀宮(すずめのみや)神社」です。



「雀宮神社」は、昭和三十九年(1964)公民館を造る時にそこから移設し建て替えられたのですが、なぜか公民館の中からしかお参りできない構造にしちゃったらしいんです。
それでは具合が悪かったんでしょう、昭和五十年(1975)に造り直して、外からお参りできるようになりました。
(「わたしたちの塚沢」)

おしゃれだなぁ、と思ったのは、側面に描かれた雀の乱舞です。


看板中ほどに、神社敷地内の石造物のことが出てきますが、神殿の後ろに並んでいます。



一番右にあった「双体道祖神」は、盗まれちゃったんですね。平成二十三年(2011)のことだそうです。
今頃、神罰が下ってるんじゃないかと思いますが。

看板の最後に、「雀宮神社」「雀」というのは「鎮め」(しずめ)が変化したんだろうと書いてあります。
たしかに、なんで「雀」なんだろうと思いますが、ブログ「前橋周辺の史跡散歩」氏が、なかなか興味深い探究をされています。

氏は、各地にある「雀」の名が付く神社の多くが「少彦名命」を祭神としていることから、こう推理します。
日本書紀に・・・鷦鷯(さざき)の羽を以て衣とした小男の神が到来したとあり、それが少彦名命だとされる。
鷦鷯はミソサザイのことで、スズメ目ミソサザイ科の小さな鳥である。古代、鷦鷯に「雀」の漢字を当てたらしい。
鷦鷯に「雀」の文字を当てたことで「すずめ」になったのだと思う。」
全文は、氏のHPから「雀神社の由来(少彦名命・雀部)」をご覧ください。

史跡看板に、「江木町の江木神社も元は『雀宮神社』と称した」とあるので、行ってみました。


手水舎の脇に建つ看板を見ると、たしかに「もとは雀の宮と号し少彦名命を祭れり」とあります。


拝殿にも、「雀之宮」の扁額が掲げられています。


さらに、すぐ隣の「真楽寺」の山号は「雀宮山」でした。


芝塚町「雀宮神社」の幟旗には「雀鏡宮神社」と記してあるといいますが、どうして「鏡」が取れたのか。
江木町「雀宮神社」とはどういう関係なのか。
謎はまだまだ解けていなそうです。


【雀宮神社】

【江木神社】





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この記事へのコメント
ようこそ我が住む町へ。
嬉しいものですね。親の代からではないものの長く住んでいる町の歴史が紹介されたのですから。
この二つの歴史あるお社に挟まれた住宅地の真ん中の我が住む町内には江木薬師というちっぽけな社があります。市が設置する説明板もないので歴史があるのか否かは知りません。毎年春にお祭りがあるのでそれなりのものなのでしょうか。
また過去に紹介された高砂町の五本辻から行人橋を経て江木神社の北に繋がる道は江戸時代の絵地図にも載っている歴史ある道と聞きます。水田が拡がる中の農道だったのでしょうね。半世紀以上も前の記憶ですが、元養鶏場から東は水田が拡がり、その向こうに江木神社の森が見通せました。我が同級生諸氏が市民に紹介した長野堰もまだ護岸は石積みの時代です。堂々たる用水でした。
Posted by toboketaG  at 2018年12月03日 19:36
>toboketaGさん

お、ご町内へお邪魔しましたか。
たしかに江木は昔からの道がまだ残っていますね。
よそ者にはまるで迷路のようです。

江木薬師ですか。
いず海保育園の西側にも薬師如来の板碑がありますね。
そこにも、史跡看板が建ってます。
その内、記事にする予定です。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年12月04日 07:13
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