2018年11月04日

史跡看板散歩-114 根岸峮太郎翁頌徳碑

国道354号柴崎町の信号を京目町方向へ700mほど、「中大類町公民館」の所にその頌徳碑が建っています。



碑背下部に略歴が刻まれています。
翁は萬延元年九月七日大類村大字柴崎の豪農の家に生まれた、體軀偉大、言行温和、識見髙邁、中庸を處世訓とし、人に怒らず、常に己を空うして社會福祉のため専念した。
郷黨其の徳を敬って慈父の如く、其の業蹟を稱へて慈母の如く慕った。
翁の如きは之を古今に求めて稀に見るところである。

翁は明治十八年廿六歳村會議員を発足とし、県議會議員に五回、衆議院議員に三回當選した。
村長に三回就任、同時に町村長會長を兼ねたのは実に七十四歳の髙齢で始められてゐる。
蓋し翁の足跡を辿れば即ち羣(群)馬郡史であり羣馬県史である。
昭和二十年十二月十五日、その輝ける公生涯を惜しまれつつ八十七歳を以て終焉を告げた。」

根岸峮太郎の家は、前回記事の「大澤雅休頌碑」のすぐ近くです。
「根岸峮太郎翁頌徳碑」が雅休の書であるというのも、当然なのでしょう。

倉賀野から元島名への道は、古くは「米街道」と呼ばれ、前橋渋川を経て越後まで続く道でした。

当時の「米街道」は、くねくねくねくねと曲がりくねった細い道で、翁の働きで開通した「倉賀野-元島名線」の真っ直ぐな道路は、「峮太郎道路」と称賛されるほど交通の便が良くなったのです。


老後は「君山」という号で書を能くし、好きな囲碁を楽しんだということです。
翁は頌徳碑の建つ前年八十七歳でこの世を去りますが、葬儀は一町他四村による組合葬を以て執行されたという一事を以てしても、郷土への貢献度がいかに大きかったかが偲ばれます。

【根岸峮太郎翁頌徳碑】





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この記事へのコメント
根岸峮太郎は明治41年に発行された『義民の冤罪』五十嵐伊十郎著の序を書いています。日付は明治30年秋とあります。
そして明治44年に発行された『五万石騒動完』細野格城著の序文も書いています。日付は明治44年初夏とあります。
序と序文はほぼ同じ(漢文)であります。
この碑は後日見に行きたいと思います。
Posted by いちじん  at 2018年11月10日 00:41
>いちじんさん

五万石騒動本の序文を書いていたんですね。
気が付きませんでした。
柴崎の人ですから、そうですよね。

明日はいよいよ、高崎城押し出し決行ですね。
成功を祈っております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年11月10日 07:38
上州路 1999年12月号を見ていましたら、「昭和6年根岸峮太郎大類村長を発起人として、五万石騒動で活躍した村々を中心に募金が行なわれて、ほぼ目標額になり仙台で巨大な石を購入して石屋に預けて置いた所、間もなく戦争が拡大激化しインフレーションで募金も目減りした。」という記述がありました。
義人堂の石が購入された経緯が分かりました。
Posted by いちじん  at 2018年11月10日 19:10
>いちじんさん

ほー、義人堂の建設にも関係してたんですね。
五万石騒動の後日譚としてまとめられるといいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年11月10日 19:25
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