頌徳三碑から南へ2.3km、見逃しそうな所に「舟石」と史跡看板が乗っかってます。
車を止めて石垣の上に登ってみると、けっこう大きな石で、たしかに舟の形をしてます。
ま、後ろの山から転げ落っこってきたに違いないと思うのですが、石の大きさといい、形といい、昔の人の想像力を刺激するには充分なものがあります。
羊太夫伝説が、古くから人々の心に根付いている土地ならではのことでしょう。
「舟石」から40mほど先にあるのが、「住吉神社」です。
史跡看板は、境内裏側のバス停のとこに建ってます。
看板には、「羊太夫の時代までには鎮座していた」とありますが、「吉井町誌」にはこんな風に書かれてます。
あれ?
羊太夫は、この神社に祈誓しなかったんでしょうか・・・。
また看板には、「神社の東を流れる大沢川を渡った所に、不動様の奥の院があった」と書かれています。
その大沢川に向かって下りる細い道があります。
看板が欠け落ちてしまってますが、「東谷渓谷」という名前がついているようです。
石が苔むして滑りやすい道を、柵につかまりながら下りていくと、予想外にすごい渓谷が現れます。
向こう岸に向かって突き出た橋の先に、お不動様が祀られていました。
崖のくぼみには、お地蔵さまも祀られています。
小さいながら、なかなかの渓谷美、恐れ入りました。
お礼を言おうと拝殿を見ると、賽銭箱が朽ちてしまったのか、紙箱にむき出しのお賽銭が入ってました。
この大らかさ、いいなぁ。
車を止めて石垣の上に登ってみると、けっこう大きな石で、たしかに舟の形をしてます。
ま、後ろの山から転げ落っこってきたに違いないと思うのですが、石の大きさといい、形といい、昔の人の想像力を刺激するには充分なものがあります。
羊太夫伝説が、古くから人々の心に根付いている土地ならではのことでしょう。
「舟石」から40mほど先にあるのが、「住吉神社」です。
史跡看板は、境内裏側のバス停のとこに建ってます。
看板には、「羊太夫の時代までには鎮座していた」とありますが、「吉井町誌」にはこんな風に書かれてます。
「 | 当神社は創建年代不詳なるも、伝えによれば奈良期のころ羊の大夫謀反の期、官軍しばしば利を失い、ために朝敵討滅を当社に祈誓せしに、効験により八束城落城し羊氏滅びたり、よって官軍の将これを建立すという。」 |
あれ?
羊太夫は、この神社に祈誓しなかったんでしょうか・・・。
また看板には、「神社の東を流れる大沢川を渡った所に、不動様の奥の院があった」と書かれています。
その大沢川に向かって下りる細い道があります。
看板が欠け落ちてしまってますが、「東谷渓谷」という名前がついているようです。
石が苔むして滑りやすい道を、柵につかまりながら下りていくと、予想外にすごい渓谷が現れます。
向こう岸に向かって突き出た橋の先に、お不動様が祀られていました。
崖のくぼみには、お地蔵さまも祀られています。
小さいながら、なかなかの渓谷美、恐れ入りました。
お礼を言おうと拝殿を見ると、賽銭箱が朽ちてしまったのか、紙箱にむき出しのお賽銭が入ってました。
この大らかさ、いいなぁ。
【舟石と住吉神社】