2018年09月16日

史跡看板散歩-109 頌徳三碑

吉井町多胡小学校のすぐ北、セイタカアワダチソウの向こうに「頌徳三碑」はあります。


草がなければ、こうらしいです。


ただ、石灯籠は今建ってません。
もしかすると、小学校の通学路なので、子どもが登ったりすると危険だから、かも知れませんね。

史跡看板ですが・・・。


そうですか、としか言いようがないのですが・・・。
三碑です↓


上毛新聞社発行の「群馬県人名事典」を見ると、向井周彌は、
県会議員時代、活発な言論と関羽髯の風貌で鬼将軍と言われた。
与志井銀行甘楽社監査役、帝国農会、地方森林会評議員など産業の改良増産に尽くした。」
と書いてあります。

江原文作については、
甘楽用水、三名川貯水池の建設、十国峠改修、多胡橋架設など公共事業に尽くした。
豪放果断の気質で愛郷の至情にあふれ、皆からの信望を集めていた。」

大澤良太郎については載ってなくて、長男・要八が載っています。
昭和二十一年まで教職を続け、のち多胡村助役、村長、教育長を歴任。
円満高潔な人格者で、子弟教育と教育諸条件の整備改善に情熱を捧げる。」

そんな要八を育てた父・良太郎については、「吉井町誌」に書かれていました。
性温良恭倹(きょうけん:人に対しては恭しく、自分自身は慎み深く)で、人に教えるに春風の如く、世に聞達(ぶんたつ:名が知れわたる)を求めず、愛郷心に富んだ・・・」

  鬼も居り 仏も居りて 泡立草   迷道院

石灯籠があった場所には、こんな石が無造作に置いてありました。


大きな兎が、猫のお尻をかじろうとしてて、それを犬がじっと見ているような・・・。
見えません?


【頌徳三碑】



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