台新田町の「稲荷神社」。
看板には明和五年(1768)創建となっていますが、「上野国神社明細帳」では由緒不詳ということで創建の年は書かれていません。
笑っているように見える狛狐の向こうに、平成二十年(2008)に再建されたという社殿、左奥に見えるのは菅原道真を祀った「菅原社」です。
この「稲荷神社」は、終戦前日の昭和二十年(1945)八月十四日深夜に空襲を受けて焼失していますので、再建は戦後二度目なのでしょう。
ここの「猿田彦大神」は、他所ではあまり見かけない立派なものです。
「猿田彦大神」の子どもみたいに、膝上にちょこんと乗っかってるように見えるのが「馬頭観音」。
しかし実は「馬頭観音」の方が年上で明治二年(1869)の建立、「猿田彦大神」は明治二十五年(1892)です。
その右側に、ちょっと違和感のあるものが建ってます。
焼却炉のように見えますが、これ、「タイムカプセル」だそうです。
区長さんにお聞きしたところ、平成十三年(2001)に設置したもので、当時の子どもたちや区長さんなどが、その日の新聞や、未来の自分へのメッセージや、写真などを入れたということです。
15年経ったら開けようということになっていたので昨年の11月に開けて、本人に戻したそうです。
なので今は空っぽになっていますが、第2回目を入れるかどうか検討中だとか。
看板の後半に、「獅子舞」のことが書いてあります。
出し物に「綱渡り」とあるので、好奇心を搔き立てられました。
獅子のいでたちで綱渡りをするとは、まさに軽業のような獅子舞じゃありませんか。
見てみたいものだと思ってビデオを借りてきてみたら、「綱渡り」じゃなくて、「綱切り」でした。
なかなかストーリー性のある、面白い獅子舞です。
もうひとつの「雌獅子がくし」は「雌獅子隠し」で、これもストーリー性の高い、ユーモアあふれる獅子舞です。
「稲荷神社」に接して、北隣に「地福院」というお寺があります。
写真左に石仏などがずらっと並んでいますが、この内の一つが「隠れキリシタンのマリア像」だと言われています。
探してみて下さい。
また、参道左手に大きな石が建っています。
真ん中の凹んでる部分が、何となく仏像のように見えます。
「天引石」(あまびきいし?)と言うそうですが、「新編高崎市史 資料編14」によると、「もともと、台新田町西南部の不動山という所にあったもの。古墳の天井石と見られる。」ということです。
「不動山」は、「上毛古墳総覧」では「旧岩鼻村第七号 稲荷塚」という古墳で、「稲荷神社」の南300mほどの所にあったようです。
「上州どどいつ部」でお世話になっている高崎出身の音曲師・柳家紫文師匠が、岩鼻小学校への行き帰りに古墳があったのを見ているというので、たぶん昭和四十年代までは残っていたと思われますが、今は跡形もありません。
もうひとつ、「地福院」の埋葬者でぜひ知って頂きたい人物に、早川圭村がいます。
郷土の歴史研究家としての名も、もはや忘れ去られようとしていますが、その波乱万丈な人生はさらに知られていないようです。
◇例幣使街道 寄道散歩(4)
お散歩の際にちょっと思い出してあげたら、きっと喜んでくれると思います。
看板には明和五年(1768)創建となっていますが、「上野国神社明細帳」では由緒不詳ということで創建の年は書かれていません。
笑っているように見える狛狐の向こうに、平成二十年(2008)に再建されたという社殿、左奥に見えるのは菅原道真を祀った「菅原社」です。
この「稲荷神社」は、終戦前日の昭和二十年(1945)八月十四日深夜に空襲を受けて焼失していますので、再建は戦後二度目なのでしょう。
ここの「猿田彦大神」は、他所ではあまり見かけない立派なものです。
「猿田彦大神」の子どもみたいに、膝上にちょこんと乗っかってるように見えるのが「馬頭観音」。
しかし実は「馬頭観音」の方が年上で明治二年(1869)の建立、「猿田彦大神」は明治二十五年(1892)です。
その右側に、ちょっと違和感のあるものが建ってます。
焼却炉のように見えますが、これ、「タイムカプセル」だそうです。
区長さんにお聞きしたところ、平成十三年(2001)に設置したもので、当時の子どもたちや区長さんなどが、その日の新聞や、未来の自分へのメッセージや、写真などを入れたということです。
15年経ったら開けようということになっていたので昨年の11月に開けて、本人に戻したそうです。
なので今は空っぽになっていますが、第2回目を入れるかどうか検討中だとか。
看板の後半に、「獅子舞」のことが書いてあります。
出し物に「綱渡り」とあるので、好奇心を搔き立てられました。
獅子のいでたちで綱渡りをするとは、まさに軽業のような獅子舞じゃありませんか。
見てみたいものだと思ってビデオを借りてきてみたら、「綱渡り」じゃなくて、「綱切り」でした。
(「台新田町獅子舞保存ビデオ」より)
なかなかストーリー性のある、面白い獅子舞です。
もうひとつの「雌獅子がくし」は「雌獅子隠し」で、これもストーリー性の高い、ユーモアあふれる獅子舞です。
「稲荷神社」に接して、北隣に「地福院」というお寺があります。
写真左に石仏などがずらっと並んでいますが、この内の一つが「隠れキリシタンのマリア像」だと言われています。
探してみて下さい。
また、参道左手に大きな石が建っています。
真ん中の凹んでる部分が、何となく仏像のように見えます。
「天引石」(あまびきいし?)と言うそうですが、「新編高崎市史 資料編14」によると、「もともと、台新田町西南部の不動山という所にあったもの。古墳の天井石と見られる。」ということです。
「不動山」は、「上毛古墳総覧」では「旧岩鼻村第七号 稲荷塚」という古墳で、「稲荷神社」の南300mほどの所にあったようです。
(「新編高崎市史資料編1 古墳分布図」から推定)
「上州どどいつ部」でお世話になっている高崎出身の音曲師・柳家紫文師匠が、岩鼻小学校への行き帰りに古墳があったのを見ているというので、たぶん昭和四十年代までは残っていたと思われますが、今は跡形もありません。
もうひとつ、「地福院」の埋葬者でぜひ知って頂きたい人物に、早川圭村がいます。
郷土の歴史研究家としての名も、もはや忘れ去られようとしていますが、その波乱万丈な人生はさらに知られていないようです。
◇例幣使街道 寄道散歩(4)
お散歩の際にちょっと思い出してあげたら、きっと喜んでくれると思います。
【台新田町稲荷神社】