2017年10月08日

史跡看板散歩-65 火雷若御子神社

東中里町「火雷若御子(からい・わかみこ)神社」です。




神社名の「火雷」は、「火雷神」(ほの・いかづちの・かみ)のことですが、これが実に大変な神様でして。

「イザナギ」「イザナミ」が結婚して、国を産み、島を産み、神を産むのですが、最後に産んだ神様が「火之迦具土神」(ひの・かぐつちの・かみ)という火の神様だったものですから、「イザナミ」は陰部に火傷を負って死んでしまうのです。

死んだ「イザナミ」は黄泉(よみ)の国へ行ってしまいますが、「イザナミ」にもう一度会いたいと思った「イザナギ」は、黄泉の国の入口まで訪ねていきます。
外で待っていてくださいと言う「イザナミ」を待ちきれずに、中へ入った「イザナギ」が見たものは、蛆が這い回る「イザナミ」の変わり果てた姿でした。

そしてその身体には八柱の「雷神」が纏わり付いていて、胸の部分にいたのが「火雷神」なのです。
その姿におののいて逃げる「イザナギ」を追いかけたのも、「雷神」達でした。

そんな怖い神様ですが、雷の多い上州では雷除けの神様として、また稲妻や雨をもたらす豊作の神様として祀ったのですね。

看板に、祭神は「火産霊命」(ほむすびの・みこと)とありますが、この神様の別名は「火之迦具土神」「イザナギ」が死の直前に産んだ神様なのです。
境内社の「秋葉神」の祭神「軻遇突智命」(かぐつちの・みこと)も、同じ神様です。
もう一柱の祭神「宇気母智神」(うけもちの・かみ)は、その屍から牛馬、粟、蚕、稗、稲、麦・大豆・小豆が生まれたとされる、食べ物の神様です。

神社名に「若御子」と付いている意味はよく分かりませんが、那波郡下ノ宮(現玉村町)の「火雷神社」から勧請したということなので、「火雷神の御子」といった意味なのでしょうか。

(なお余計なお節介ですが、「大山祇命」「おおやまぎの・みこと」と仮名が振られていますが、「おおやまつみの・みこと」の誤りだと思います。)

社殿は質素な造りですが、駒犬の顔は迫力があります。


迫力のある風神・雷神の絵馬も奉納されています。


その並びに、「神楽殿」という額があるんですが・・・?


境内に「神楽殿跡」という看板が建っていますので、どうやら額だけ残して社殿に飾ったもののようです。


試しにGoogleストリートビューで見てみたら、2012年にはあったようですが、2015年には無くなっています。


社殿後ろの石碑に、こんなことが刻まれています。
明治十九年中宮殿ヲ建換ヘ 神樂殿幷ニ沓堂ヲ新築ス 同廿八年一月廿四日神號ヲ舊ニ復シ奉り 同月廿七日御遷宮式大祭典ヲ挙行ス」

明治丗四年一月廿七日氏子等建之
      五十嵐勘衛謹書

明治十九年(1886)に建てた「神楽殿」ですから、けっこう傷んでいたのかも知れません。

上の石碑に「五十嵐勘衛謹書」とありますが、境内には、同氏の名前があちこちに見られます。




高崎五万石騒動で斬首された大総代・佐藤三喜蔵の家が移築された場所を探して、この五十嵐勘衛氏宅に辿り着いたことを懐かしく思い出しました。 → 「久々の五万石ネタ」

看板の後半に書かれている「御沓堂」です。
「おくつ」と仮名が振られてますが、正確には「御沓」(おくつ)を納めるお堂で「おくつどう」なんでしょう。


中は相当荒れていますが、草鞋や絵馬が残っています。


「馬の草鞋」「御」を付けて「御沓」というのは、「雷神」が乗る白馬に履かせる草鞋に由来するようです。

前橋上新田町にも「雷電神社」があるんですが、そこに謂れを書いた看板があるのを思い出しました。
7年前に尋ねてました。


社殿の手すりには、沢山の「御沓」が奉納されていました。


さて、「火雷若御子神社」に戻りましょう。
看板の最後に書かれている「石造物」というのがこれです。


ただ、この中に謎のものがありまして・・・。


お地蔵様の後ろに円い石が置いてあって、いや、置いてあると思ったら、しっかりコンクリの土台に埋めてあるんです。
何なのかなぁ、って・・・。

小さな神社でしたが、面白くって、つい長い記事になってしまいました。


【火雷若御子神社】


【下新田町雷電神社】






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この記事へのコメント
初めまして。最近、スマホのアプリ「まちクエスト」なる地域を回るゲームでここに寄ったのですが、こんなに詳しく見て回れませんでした。「神楽殿」は私も疑問に思ったのですが、謎が解けました(笑)次の更新も楽しみにしております。
Posted by No name  at 2017年10月08日 13:25
>No nameさん

コメント、ありがとうございます。

「まちクエスト」というのがあるんですね。
私は未だガラケーなので、知りませんでしたが、ネットで検索したらなかなか面白そうなアプリですね。
これなら、若い方々が郷土のことに興味を持つきっかけにしてもらえそうな気がして、とても嬉しく思います。

併せて、拙ブログとのお付き合いの方も、よろしくお願いいたします。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年10月08日 20:39
火雷若御子神社は、拝殿がなく
社殿が、白木作りで立派な神社ですね。
私は、豪華絢爛の神社より
質素な白木作りが、好きですね。
庶民的で
Posted by wasada49  at 2017年10月11日 07:11
>wasada49さん

正面から撮った写真なので、分かりにくかったかも知れませんが、これが拝殿でその後ろに本殿があります。

質素な造りは、いかにも村社らしくていいですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年10月11日 19:28
善光寺に行くと草鞋がたくさん奉納されていますが、馬のわらじというのは初めて見ました。全国的にも珍しいそうですが、末永く伝えていってほしいですね。
Posted by 風子風子  at 2017年10月13日 14:21
>風子さん

馬の草鞋の奉納ってのは、珍しいのかも知れませんね。

雷神の白馬だけでなく、普通の馬にも草鞋を履かしていたようですから、馬を大切にしていたんでしょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年10月13日 19:17
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