2017年09月17日

史跡看板散歩-62 新堤

Mr.Max倉賀野店の北東に、大きな貯水池があります。


その貯水池は「新堤」(しんづつみ)と呼ばれています。



「通称桜木町鯉池」とあるように、平成八、九年頃まで新(あら)町の養鯉業者が鯉の養殖をしていたのだそうです。
その鯉は、長野県まで列車輸送されて「佐久の鯉」として売られていたといいます。(倉賀野町の民俗)
今ならさしづめ産地偽装で問題になってたかも知れませんね。

「新堤」は天明六年(1786)に完成したとありますが、昭和十一年(1936)に改修工事が行われ、その記念碑が建てられています。


記念碑には「新舊(きゅう)溜池改修記念碑」と刻まれています。
「舊溜池」というのが、看板に書かれている「古堤」(ふるづつみ)のことです。

「古堤」は、「新堤」の南東400mの所にあります。


「古堤」の向こうに見えるのは、「高崎市立倉賀野保育所」です。
その正門脇に、「古堤の由緒」碑が建っています。

「古堤の由緒」
古堤は倉賀野町字荒神にあり、面積は六反三畝五歩にして、徳川四代将軍家綱公の寛文年代、全国的な大旱魃起り、時の高崎藩主は、年貢を減少する代償として、農民の労力により灌漑用貯水池として建設したと伝えられる。

その後管理は名主、組頭、百姓代に依ってなされたが、明治に至り町の所有となり、下組水利組合が管理運営にあたり、下流地域一帯の田畑を潤し、農民はその恩恵に浴す。

時は移り世は変り、町村合併により高崎市の所有となり、幼児教育の重要なる事を認めて相謀りて、ここにその半ばを埋め立て、保育所を建設するに至る。
この農民の歴史を後世に伝えんとして、この碑を建つ。

昭和五十二年四月吉日 倉賀野下組水利組合

倉賀野の農業用水は長野堰から引いています。
江木町「円筒分水」「倉賀野堰」に分流し、さらに上佐野町「粕沢堰」で分流し、また字樋越で分流して一本は「五貫堀」に、もう一本はさらにいくつもに分流した末に、ようやく下流域に細々とした水が辿り着きます。
そんな訳ですから、下流域の下町南町の農家にとって、「古堤」「新堤」がどれほど大切な溜池だったことか。

今も満々と水を湛える二つの堤は、これからも先人の知恵と努力の歴史を伝えていくことでしょう。


【新堤】


【古堤】






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この記事へのコメント
もとは長野堰からですか、昔の人の知恵はすごいですね。
新町の鯉が輸送されて「佐久の鯉」として売られていたということは初めて知りましたが、実は信州銘産の野沢菜漬けも、菜は群馬のものだと聞いたことがあります。色々あるんですね^^。
Posted by 風子風子  at 2017年09月17日 15:41
>風子さん

「赤城牛」の仔牛を育成したのが「松坂牛」だという話も聞いたことがあります。
真偽は分かりませんが、肩書に弱いですからね、人間は(^.^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年09月17日 19:29
ご無沙汰です。
競馬場跡地に発掘?された倉賀野堰が豊かな水を湛えているのを今日見て、検索したらココに辿りつきました(笑)
ぼちぼち散歩再開しなくちゃです。
Posted by AO  at 2017年09月28日 14:33
>AOさん

お久しぶりです。

競馬場跡地の倉賀野堰は、今その処置が議論されているようですね。
暗渠にしちゃおうという話もあって心配ですが、そうだとしてもここに堰があるという印は残してほしいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年09月28日 18:43
暗渠になっている所も多いですね、長野堰制覇してます(笑)
ところで競馬場通り(道路)も拡張するらしく環状線沿いから何軒かの店舗は減築しましたが旧家は曳家作業中です。
Posted by AO  at 2017年09月29日 15:02
>AOさん

あ、あの家、ちょうど通りかかって曳いているところを見ました。
今どき、珍しいなと思って感動しました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年09月29日 19:45
実際に曳いてるところを見たのですか!羨ましいです。
豊田屋旅館や以前のSONY店舗(炙り屋どんどん?)も曳家したと聞きました。
競馬場の家は後方に基礎工事中なのでもう一度曳くと思います、逃さないようにします(笑)
Posted by AO  at 2017年09月29日 20:12
>AOさん

それは見逃す訳にいきませんね(^.^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年09月30日 07:29
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