2017年05月07日

史跡看板散歩-43 矢中町のゴロゴロ山と御嶽山大神

ごぞんじでしたか?矢中町にある「ゴロゴロ山」




実は、8年前に記事にしてました。 → ◇「ゴロゴロ山」

看板の後半に出てくる「馬頭観世音」の石碑は、「ゴロゴロ山」から100mほど西にあります。


「ゴロゴロ山」の北120mほどの所には、もう一つの史跡看板「御嶽山大神」があります。



ところがこの看板、間違いの多さにびっくりです。
まず「御嶽山」は、「おんたけやま」でなく「おんたけさん」と読むのが一般的だと思いますが、どうなのでしょう。

仮名のふり間違いと誤字も目立ちます。
「国常立尊(くにとこたちのみこと)」こくとこたのみこと」
「大己貴命(おおなむちのみこと)」「おおむちのみこと」
「普寛行者」「普行者」

これは、いささか多過ぎませんか。
些細なことではありますが、史跡看板の信頼性を疑われかねませんので、掲示する前に充分なチェックをお願いしたいところです。

矢中町の史跡看板はこの二つしか建っていませんが、この地域はけっこう面白いところなんです。
ブログ駆け出しの頃、土屋喜英氏著「高崎漫歩」を読んで、この辺を徘徊したことがあります。 → ◇七曲りの小豆とぎ

矢中は古い歴史を持つ地域で、中世には、「矢中七騎」と呼ばれた倉賀野氏の寄騎(よりき)が住んでいた土地です。
長篠の戦があった天正三年(1575)には和田氏に属し、酒井軍の急襲を受けた鳶ヶ巣山砦の武田信豊を救援に向かい、鉄砲に撃たれて重傷を負った和田業繁等を退却させるため、退き口に踏みとどまって敵を防ぐという、めざましい働きをしたといわれます。
(新編高崎市史 資料編3)

「矢中七騎」のひとり、大澤備後守定吉の誕生屋敷跡という石碑が建っています。



「矢中七騎」とは、大澤備後と、福島嘉兵衛、真下下野、栗原内記、松本九郎兵衛、秋山縫殿亮、長島因幡の七氏で、その屋敷跡のいくつかは発掘・推定されています。


矢中中学校建設地からは、天仁元年(1108)の浅間山大爆発による軽石層の下から、銅製の「物部私印」が発掘されています。


さらに時代を遡る正始元年(240)という銘が入った「三角縁神獣鏡」も、柴崎町「蟹沢古墳跡」から発掘されています。


史跡看板をもっと設置してもよいと思う、矢中町でした。


【ゴロゴロ山】


【馬頭観世音】


【御嶽山大神】


【大澤備後守定吉誕生屋敷跡碑】


【「物部私印」が発掘された矢中中学校】


【蟹沢古墳跡】






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この記事へのコメント
蟹沢古墳には驚きました。出土した銅鏡に魏志倭人伝に書かれている年代が刻印されていたとは!
「245年魏の斎王、倭国使に物を賜う」とありますが、この時に頂いた物の1つではないか・・・
と妄想してしまいます。
蟹沢古墳に是非行ってみたいと思いますが、そこには史跡看板はありますか?
Posted by いちじん  at 2017年05月14日 23:20
>いちじんさん

どうも仰る鏡の内の一枚らしいんですよね。
すごいことでしょ?
なので、現物は国立博物館に持っていかれちゃって、群馬に戻してもらえないらしいですよ。

蟹沢古墳は、残念ながらいま跡形もなくて、看板も建っていません。
建ててほしかったですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年05月15日 20:36
「245年魏の斎王、倭の国使に物を賜う」

245年の意味とゆうか、かっこでいいから西暦何年がわかればなと思いました。

6月10日の敬西寺のコンサートよかったです。でも20人ぐらいしか来て居なくて、もったいなかったです。松岡君は、二中の時の同級生で、草津での同窓会の帰りにお寺についた時、6月10日の件を知りました。

プログに乗せなくていいです。
Posted by 布施正子 水村園つながり  at 2017年06月13日 11:29
>布施正子様

コメント、ありがとうございます。

「245年」は西暦245年です。
中国の年号では「正始6年」になります。
この頃、日本はまだ文字を持っていなかったようで、「魏志倭人伝」によって当時の日本の様子が推測できるという訳ですね。

その頃、どのようなことがあったのかは、次のサイトが参考になるかも知れません。
http://www.geocities.jp/niginiginomiko/rekisinenpyou2.htm

敬西寺さんは、いろんなイベントをやってますね。
私も柳家紫文さんのライブをやらせてもらいました。
よろしくお伝えください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年06月13日 12:41
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