2017年04月09日

史跡看板散歩-39 京目不動尊

京目町「京目不動尊」です。
史跡看板散歩-39 京目不動尊
史跡看板散歩-39 京目不動尊

田島桂男氏著「高崎の地名」によると、「京目」という地名についてこう書かれています。
『京目』の地名は、古くは『教免』(きょうめん)であった。
むかしは、神仏への信仰が人々の生活に強く根づいていて、敬神崇仏のための経費を出す共同耕作地は、年貢の対象から外されていた。
『教免』とは、仏教信仰に関わる租税免除のこと・・・(略)
『教免郷』は、天正年間(1573~92)には、松井田城主大道寺直宗の領地であったが、慶長十二年(1607)以降旗本(戸田氏)領となり、元禄十一年(1698)高崎藩領となった。」

ということなので、ここにあったという「不動寺」は、松井田藩領の時に創建されたということになります。

お堂の中を覗いてみると、びっくりするほど立派なお不動様が祀られていました。
史跡看板散歩-39 京目不動尊

このお不動様について、「高崎の散歩道 第五集」に、こんなことが書かれています。
古老が話してくれたところによると、この不動明王像のうしろに、あけてはならない七ツの箱があるという。
この箱の一つを中沢家では背負って、正月に全国を巡行した。
箱をあけるとたたりがあると伝えられ、今だに中になにが入っているかわからない。」

でも、見た通り、すべての箱は開けられているようですが・・・。

史跡看板散歩-39 京目不動尊境内入口に、「如意輪観音」を刻んだ塔が建っています。

台座には「女人講中」、塔側面には「文政十二丑年(1829) 十月吉祥日」とあります。

「女人講」とは、二十二夜(二夜様)に行われる女衆の「月待ち」講で、そのご本尊「如意輪観音」を刻んだ塔が多いようです。

男衆の講である「二十三夜」の塔も、境内にあります。
史跡看板散歩-39 京目不動尊

さらには、「日待ち」塔の代表ともいえる「庚申塔」も、立派なものが建っています。
史跡看板散歩-39 京目不動尊

「不動寺」が、村人たちの拠り所であったことがうかがえます。

さらに、ここが修験寺であったという証が、この「役行者」(えんのぎょうじゃ)の石像でしょう。
史跡看板散歩-39 京目不動尊

「役行者」は、修験道の祖といわれる「役君小角」(えんくんおづぬ)という人で、空を飛ぶことができ、鬼神を自在に操れるという力を持っていたらしいです。
それが、実在の人物だというんですから、驚きです。

ほしいなぁ、そういう能力・・・。


【京目不動尊】






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この記事へのコメント
11日の夕食時、京目生まれの義母(現在90歳)にお不動様のことを聴いてみました。
義母から「私の名前は、お不動様に付けてもらったんだよ」との話。同じ頃生まれたいとこも付けてもらったそうだが、同じ名前だったとのこと!
そんな話を聴くことができました。
迷道院さんに感謝です。
Posted by いちじん  at 2017年04月12日 05:45
>いちじんさん

おー、そうでしたか!
お義母様のご長寿は、お不動様の霊験あらたかということですね。
いいお話、ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2017年04月12日 10:20
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    コメント(2)