2017年04月01日

史跡看板散歩-38 日枝神社と華王寺

新保町にある「日枝神社」(ひえじんじゃ)と、その別当寺「華王寺」(けおうじ)へ行きました。

それらしい甍と鳥居が、石や土砂が山と積まれた向こうに見えますが、山門らしき石柱が建っていなければ通り過ぎちゃったかも知れません。


入っていくと、とっつきに「日枝神社」があります。



看板に、滋賀県坂本の「日吉山王大社」(ひえ・さんのう・たいしゃ)から勧請したと伝わるとあります。
「日枝神社」のあるこの場所の字名は、「山王」です。
もしかすると地元の人は、この神社を「山王様」とでも呼んでいたんじゃないでしょうか。

「山王様」というと、6年前に堤が岡小学校近くで見た「山王の猿」を思い出します。
その記事にも書いたのですが、「日吉山王大社」の祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)のお使いが「猿」だということです。

とすると、新保町の「日枝神社」もどこかに「猿」が祀られていそうなものです。
しかし、境内に並んでいる石碑は、昭和五十八年(1983)の染谷川改修の際にここに移設されたものばかりで、「猿」にまつわるものはなさそうです。


さらに探すと、本殿左奥の木の根元に、小さな「庚申塔」がポツンと建っているのをみて、あ、これかと思いました。


「庚申塔」には、「元禄十六未年十一月吉日 奉庚申供養 現世安全諸人快楽」と刻まれています。

「庚申信仰」は、人の体の中に住んでいる「三尸(さんし)の虫」が、60日に一度回ってくる「庚申」(かのえ・さる)の日に、眠っている人間の体から抜け出して、天帝にその人の犯した罪を報告に行くという、中国の道教の説話に依ります。

天帝は、その罪の軽重によりその人の寿命を決めると言われているので、ちょうど「さんや様」の夜と同じように、村の人々は一堂に集まって寝ずの一夜を過ごし、「三尸の虫」が抜け出せないようにする訳です。

そして、「申」「猿」と結びつき、「庚申塔」には猿の彫り物が施されているものも多いようです。
相当風化が進んでいますが、ここの「庚申塔」の下部にも「見ざる、言わざる、聞かざる」「三猿」が刻まれていたと思われる痕跡があります。


また、「二十三夜」のように月の出を待つのを「月待ち」「庚申」のような特別な日を待つのを「日待ち」と言います。
ここの「庚申塔」の上部に「お日様」「お月様」が刻まれているのも、そういう意味のようです。


隣にある別当寺「華王寺」へ行ってみました。
美しい形の屋根を持つ堂宇です。



「新編高崎市史 資料編3」によると、「華王寺を中心として環濠屋敷の推定が出来る」とあります。


また、こうも書かれています。
天正十一年(1583)頃、新保郷は後北条氏の直轄領となり、ここに在地土豪の小嶋・反町・井草・阿久沢・登坂氏等の名が、北条家朱印状写に見えている。
この屋敷もこれらの人達の屋敷であったと考えられるが、伝承はない。
華王寺の創始は、江戸初期の寛永年間で、屋敷が不要になった後に建立されたのであろう。」

ポツンと取り残されたような二つの史跡ですが、史跡看板が建ったことにより、後世に語り継がれるであろうことを嬉しく思います。

さて次回は、京目町の史跡看板です。


【日枝神社と華王寺】






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