2009年03月16日

郷蔵道(ごうぐらみち)

倉賀野宿飯盛女が架けたという「太鼓橋」跡近くに、蔵造りの建物がある。

「たかさき都市景観賞」を受けた大山家である。
もとは明治期の穀物商で「大黒屋」という商家であった。

今は門を閉ざし、内部も非公開となっているが、できれば何らかの形で観光に役立てていただきたいものである。

硝子戸の脇に、懐かしいものを見つけた。
栗本牛乳の木製牛乳受けである。

栗本牛乳は、高崎市立中央小学校の隣にあった牧場である。

話はそれるが、昔、高崎には結構あちこちに牧場があったようである。
常盤町の栗本牧場、並榎の松井牧場、豊岡の少林牧場、片岡の黒岩牧場、江木の永井牧場などがあったという。
現在は、鼻高町の長坂牧場ぐらいになってしまったのだろうか。

話を倉賀野に戻そう。
「大黒屋」脇の小路を、
「郷蔵道」(ごうぐらみち)という。

今にも風呂敷包みを背負った町人や、黄八丈を着た町娘が歩いてきそうな雰囲気ではないか。
    
放っておくのは、イカにもタコにも、もったいない。
「たかさき都市景観賞」を与えた高崎市が、何らかのアクションを起こすべきではないだろうか。

 「民のことは民に」などと逃げずに、
   「民も官も」協力して、
     数少なくなった「観光資源」を活かしていく必要がある。


【大黒屋跡】


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Posted by 迷道院高崎 at 21:51
Comments(4)倉賀野
この記事へのコメント
「たかさき都市景観賞」も中途半端なものです。
たしか、近代的な建物にも贈っていたような・・・。
新しくなる前の方が街並みに合っていたのに・・・。
それにしても栗本牛乳懐かしい。
と言っても給食でしか知りませんが・・・。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年03月16日 22:26
>弥乃助さん

わが家もビンボーだったので、給食でしか飲めませんでした。
玉村町の学校は、今でも牛乳ビンを使ってるそうですよ。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年03月16日 22:45
中学では購買と言うのがあってそこで栗本の牛乳と松浦のパンを買ったりしましたね。
3年生になると生意気にも学校を抜け出して市役所の地下食です。あそこのソースかつ丼の味が未だ舌に残っています。それとスカイビルの裏っかわにあった、富士見とか富士何とか言った食堂のラーメン・・・・未だ営業しているんじゃあないでしょうか?

迷道院高崎さん

>「民のことは民に」などと逃げずに、「民も官も」協力して、

なんですが、その“官”とは八百屋、魚屋と同じ一つの職業なんじゃあないでしょうか。豆腐屋のセガレが“官”職に就いてます。

行政を指揮監督するのが議会です。で、議会は“民”の代表者です(とりあえず)。つまり“官”は“民“の一部ではないかと思うのです。そろそろ“官”という発想を国民全体で考え直す時期ではないでしょうか。真の民主主義
という意味においても。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年03月17日 10:25
>昭和24歳さん

ありましたね、購買。
私は、パン代を3日節約して、歌声喫茶「風」に通いました。

「官」については、仰る通りです。
本来、皆「民」なんですよね。

奸計をめぐらす「奸」、眠り続ける「眠」なのかも知れません。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年03月17日 22:32
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