2016年12月11日

史跡看板散歩-24 金沢米穀店

今日は、「善念寺」参道前にある、創業以来326年という老舗のお米屋さん「金沢米穀店」です。




明治三十七年(1904)発行の「群馬縣營業便覽」にも、ちゃんと載っています。


軒が歴史を語っています。


店内はもっと語っています。


十五代目となる専務取締役・金澤富夫さんは、もっともっと語っています。

金澤さんは「高崎市史の会」理事もなさっていて、高崎の歴史の中での「金沢米穀店」の在り方や、高崎の町づくりについても深く考えておられます。

NPO法人「DNA」(Design Net-works Association)のインタビュー記事をご覧ください。

上州テレビ「高崎わたしばなし」にも出演され、いいお話をされています。
どうぞお聴き下さい。

嬉しいなぁ。


【金沢米穀店】






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この記事へのコメント
軒先の梁が歴史を感じますね。
江戸時代は、間口で税金が決まるので
鰻の寝床になった様ですねが?
それで、多くの店舗が出来たのですね。
いつもとても勉強になります。
Posted by wasada49  at 2016年12月12日 08:36
>wasada49さん

なかなか、いい佇まいでしょ?
昔は藩への納税は町単位だったので、一軒一軒には間口の広さで割り当てたようですね。
シンプルで合理的だと思います。
現代の方が、悪代官的ですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年12月12日 20:58
群馬縣營業便覽の当店東側の町名が読めませんので、教えてください。
Posted by いちじん  at 2016年12月14日 06:49
>いちじんさん

あ、ちょっと字が潰れてますね。
金沢米穀店の東にある南北の通りは「通町」です。
その東の通りは「羅漢町」。
東西の通りは東から「元紺屋町」、「中紺屋町」です。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年12月14日 16:02
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史跡看板散歩-24 金沢米穀店
    コメント(4)