2016年09月11日

史跡看板散歩-16 将軍の孫

シンフォニーロード沿いのお堀端に建つ、ブロンズ像「将軍の孫」とその史跡看板です。




ただ、書かれていることを読んでも、なぜこれが高崎の名所旧跡として看板を建てる対象になったのか、さっぱり分かりません。
どれひとつ、高崎とつながりのある事柄がないのです。

台座に埋め込まれているプレートから、「高崎ライオンズクラブ」の20周年記念で寄贈されたらしいことだけは分かります。

しかし、なぜこの像を選定したかという理由は書かれてません。

「将軍の孫」像の足元にある説明板の内容も、史跡看板とほぼ同じことが書かれているだけです。

そこで、いつもお世話になっている画家で染色家のYさんに、何かご存知のことがないか尋ねてみたところ、当時のライオンズクラブ会員だった方に問い合わせてくださいました。

結果は、特に高崎との結びつきはないということで、少しがっかりでした。

迷道院としては、乃木将軍の子乃木保典が高崎歩兵第15連隊小隊長として日露戦争に出征し戦死したこととか、江戸幕府初代将軍の孫徳川忠長が高崎城内で自害したことと、暗に結びつけたと思いたかったのですが・・・。

「高崎ライオンズクラブ」は、昭和三十八年(1963)六月に発足、20周年記念事業として昭和五十七年(1982)十一月に「将軍の孫」像を建てています。
当初は、高崎郵便局北側の小公園に建てられました。


しかし小公園では人の目に触れにくいということで、平成六年(1994)にシンフォニーロードが開通したのを機に、平成九年(1997)現在地へ移設されました。

はたして、この史跡看板は必要だったのでしょうか。
むしろ、ここの堀に突き出している、「出桝形」(でますがた)の史跡看板こそ欲しかったように思います。


城郭における「桝形」というのは、四角く囲われた空間に敵を誘き入れて、周囲の狭間から弓や鉄砲で攻撃するという構造のことを言うらしいです。
ところが高崎城「出桝形」はそれとは違う、ちょっと珍しいものだと聞いたことがあります。

これは、ど素人・迷道院の勝手な思い込みなのですが、高崎城「出桝形」は、その北側にある「東門」を防御するためのものではないでしょうか。
「高崎市史資料集1 高崎城絵図」の解説によると、
東門は通用門で、他の門と異なり平屋建ての粗末な門である・・・棟門には潜り戸があり、いかにも通用門らしい門である。」
という風に、武士の他、商人も出入りする通用門だったようです。

城内へ出入りする門としては、「子の門」「大手門」「東門」「南門」がありますが、他の門に比較して「東門」は確かに粗末で、防御には劣る構造に見えます。


この弱点をカバーするための備えが「出桝形」で、東門前に迫った敵の横腹に矢玉を射掛けるという目的だったのかも知れません。
城郭に詳しい方のご教示を頂けると幸いです。

今では、ピシッと直線的な「出桝形」ですが、明治三十年頃はこんな様子で、きっと江戸時代もこんな風だったんでしょう。


「シンフォニーロード」が計画された当初、高崎駅から高崎市庁舎まで真っ直ぐ道を通す予定で、その線上にある「出桝形」は崩してしまおうということになりました。
それを聞いて猛反対したのが、当時の郷土史家たちです。
幸いその声が聞き入れられて、「シンフォニーロード」「出桝形」を避けるように、微妙なカーブの現在のコースに変更されたと聞きます。


ここには、そんな「出桝形」を残してくれた先人を讃える史跡看板こそが、相応しいと思うのですがいかがでしょうか。


【「将軍の孫」像】






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この記事へのコメント
いつも楽しく拝見しております。
高崎の街を歩く時、こちらで得た知識を受け売りで妻に話すと、「へぇ、そうなんだ。」と感心されます。
群馬出身の彼女より、他県出身の自分の方が、高崎に詳しいですよ。(笑)
取材等、ご苦労あるでしょうが、頑張ってくださいね。
楽しみにしております。
Posted by ムッシュ  at 2016年09月11日 09:34
歴史を、大切にする。
高崎市の一例だと思います。
いつも、詳細調査と現地を訪れる日々の
努力には、敬服いたします。
Posted by wasada49  at 2016年09月11日 09:59
>ムッシュさん

嬉しいコメント、ありがとうございます!
これが励みで、なんだかんだ続いております。
これからもよろしくお付き合いください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年09月11日 10:16
>wasada49さん

いつもコメントありがとうございます!
史跡看板は、歴史を町づくりに活かす第一歩だと思っています。
看板を建てて終わりではなく、これを観光などの事業につなげていく作業が必要ですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年09月11日 10:23
かわいいブロンズ像はチラリとみたことがありますが、「将軍の孫」という像だったのですか。
迷道院さんがおっしゃる通り、「出枡形」の史跡看板、ぜひ作ってほしいですね。よそ者の勝手な戯言ですが・・・。
Posted by 風子風子  at 2016年09月14日 16:33
>風子さん

ね、「出桝形」の看板、欲しいですよねー。
まだ追加設置することも考えているようですから、その中に入れてもらいましょう(^.^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年09月14日 21:28
「出桝形」の話も面白いですね~。

この辺りを歩く楽しみが増えます!
Posted by 蔵六  at 2016年09月26日 18:49
>蔵六さん

蔵六さんにそう言って頂くと、ブログを続ける張りが出ます。
ありがとうございます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年09月26日 20:15
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