2016年07月31日

史跡看板散歩-12 高崎藩武家屋敷跡

この史跡看板も、ちょっと見逃しそうなんですが、高崎神社前の道を南に行って、お堀に出る70mほど手前の駐車場に建っています。





看板に、安政四年(1857)の城下絵図が載っていますが、


字が小さくてどこが武家屋敷なのかよく分からないので、「新編高崎市史 資料編5」の付図「髙崎御城内外畧圖」(年次不詳)で見てみましょう。


「士屋鋪」「士屋シキ」と書いてあるのが、藩士のお屋敷です。
上級職の藩士は城内、それ以下の藩士は城外に住んでいたようで、「長屋」「長ヤ」は下級藩士や足軽クラスなのでしょう。

前回「高崎の根本・本町」の記事で、高崎城を造るために町を移したという話をしましたが、その高崎城も明治五年(1872)に陸軍省の所管になると、今度は城内に住んでいた高崎藩士がすべて城外に移されることになりました。
その辺のことは、過去記事「続・鎌倉街道探訪記(4)」に書いてありますので、よかったらご覧ください。

史跡看板が建っている道向こうは、内村鑑三の居宅跡です。


ここにも史跡看板があって然るべきと思うのですが・・・。

それともう一か所、ぜひ史跡看板を建ててほしい場所が柳川町にはあります。


なぜかという理由は、土屋喜英氏著「高崎漫歩」にある、こんな逸話を読めば分かっていただけると思います。
柳川町の一番地は、柳橋の角の一画で、ここに通称赤門浅井といわれる家老職も勤めたことのある浅井家が移り住んだ。その敷地は六百坪もあったといわれる。
なぜ、赤門と呼ばれていたのか判然としないが、浅井家は城中にいたころは、三の丸の大手門近くの城代屋敷におり、当時赤い門でもあったのであろうか。

現在の一番地には東向きに黒塗りの塀とケヤキ造りの門があり、わずかに面影を残している。(残念ながら今はありません)
この黒塀の屋敷に作詞家の山崎正がいたことがあり、『粋な黒塀、見越しの松に、あだな姿の洗い髪・・・』という『お富さん』の歌詞はここで生まれたのである。

今どき「お富さん」なんて言っても、「イメージキャラクターでしょ?富岡製糸場の。」と言われそうなんで、一応、YouTubeを貼り付けときます。


群馬芸術協会会員・金井恒好氏も、「開化高崎扣帖」山崎正のことを書いています。
山崎正は、高崎を、そして柳川町を、こよなく愛していた。
『粋な黒塀 見越しの松』は、彼が好きだった城下町高崎であると同時に、柳川町のイメージでもあったのだ。
『仇な姿の洗い髪』は、その頃の柳川町を歩けば、ここかしこに見受けられた艶やかな姿でもあった。(略)

戦後復帰した山崎正は、柳川町の一画電気館のそばに『幌馬車書房』を開いた。
ここから、炭坑節、常磐炭坑節をはじめとする多くの民謡、歌謡曲が生まれたことは言うまでもない。

歌舞伎歌謡と銘打った『お富さん』の歌詞を山崎正から手にした渡久地政信は、思案の末、当時人気絶頂の岡晴夫に歌わせようとして作曲したが折も折り、岡はコロンビアレコードへ移籍が決定した直後だった。
止むを得ず、『赤いランプの終列車』でデビューして以来、パッとしないままでいた無名の新人春日八郎に、急きょ変更して吹き込んだ。
その時は、これがまさか六十五万枚も売れるヒット曲になろうとは予想だにしなかった。(略)

かくて、一世を風靡した歌と共に、郷土出身の作詞家山崎正の名は、永く庶民の心の中に生き続けるであろう。」

しかし残念ながら、高崎をこよなく愛した山崎正の名は、わが高崎では忘れられつつあります。
ところが、お隣の前橋のほうで、その名が語りつがれているというのですから、なんともはや。

前橋「東和銀行本店」脇の坂道を下って、馬場川を渡ったすぐ先に、いかにも昭和の風情を漂わせている小料理屋があります。

このお店こそ山崎正の夫人が開き、現在はご子息が跡を継いでいる「つくし」です。

「お富さん」の歌詞を柳川町の居宅で仕上げた山崎正は、昭和二十八年(1953)に前橋へ移り住み、昭和三十一年(1956)に「前橋音頭」(作曲・山口俊郎、歌・三橋美智也)を作詞しています。

現在前橋で盛んに踊られている「前橋だんべえ踊り」は、平成二年(1990)この「前橋音頭」をもとにアレンジされたものだそうです。

また「前橋文学館」では、平成十八年(2006)に「山崎正・歌謡曲の世界」という企画展を実施しています。

その山崎正の原点ともいえるわが高崎の町がピクリとも動いてないことに、実に残念な思いを抱きます。

ぜひ山崎正の居宅跡に「お富さん発祥の地」という史跡看板を建て、高崎が生んだ大作詞家・山崎正を語り継いでいこうではありませんか。


【高崎藩武家屋敷跡史跡看板】


【内村鑑三居宅跡】


【山崎正居宅跡】


【つくし】






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この記事へのコメント
残念ですね、
県下随一の文化、歴史のある高崎が石碑、看板も
行政が設置しないとは、旧境町では、地元の
史談会の方が、金井烏州、弥勒寺父子や俳人の
長谷川零奈子などの設置を行っております。
Posted by wasada49  at 2016年08月02日 07:47
この史跡看板が設置されているお宅の方に「内村先生居宅跡」の石碑のことを話したら、ご存知ありませんでした。

せめて、同じ中央小校区の皆さんには内村鑑三や「お富さん」の話を受け継いで行きたいですね。
Posted by 蔵六  at 2016年08月02日 10:53
>wasada49さん

行政マンは、2、3年で部署が変わってしまうので、よっぽど郷土の歴史に興味を持っている人でないと、踏み込んだことはできないんでしょうね。
それでも昔はそういう行政マンがいたんですが・・・。

民間の郷土史研究会が、行政と一緒にやっていくというシステムが必要なんだと思います。
そういうシステムを作ることが、行政の役割だと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年08月02日 18:27
>蔵六さん

私も取材の時に感じてることですが、意外とすぐそばの人が知らないもんなんですよね。
郷土史の本を読むというのは、相当興味のある人でないとやりませんからね。

そういう意味では、今回の史跡看板設置はそういうきっかけになるとは思います。
あとは、それをどう活かしていくかという、こだわりが必要だと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年08月02日 18:34
ご無沙汰していますが、ブログはいつも楽しみに拝見しております。
5月に帰省し、幼なじみの
観音茶屋のおかみさんとも
久しぶりに会ってきました(^_^)v

柳川町界隈、とても懐かしいです。
私は3才まで中紺屋町で育ったので、
乳母車のお散歩はいつもお堀端だったとか・・・

 内村鑑三、なぜか高崎ではあまり
評価されていないようで残念ですね。
明治から大正にかけての、内村の存在の大きさは
臼井吉見の「安曇野」や
野上弥生子の「森」を読んでも驚くばかりですが・・・
 離婚した最初の妻(安中教会出身)との
間に生まれた長女は高崎女学校の第一期生。
 
 高崎公園の「上州人」の碑だけでは物足りない気がします。
Posted by 故郷離れて  at 2016年08月03日 09:32
>故郷離れてさん

不肖迷道院、上州どどいつ部というのに出させて頂いてるんですが、そこに投稿した都々逸をひとつ。
「よくは知らない 内村鑑三
 心の燈台 もとくらし」

地元高崎では、鑑三の名前は知っていても、何をした人なのかというのは、あまり知られてないと思います。
12歳で高崎を離れちゃってるので、仕方ないとは思いますが、勿体ないことですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年08月03日 16:15
高崎神社にはたびたび出かけますので、史跡看板を見たいと思います。
高崎藩の絵図も、いいですね。
『お富さん』の「粋な黒塀 見越しの松・・・」の歌詞は、江戸は墨田川あたりの風景とばかり思っていましたが、高崎にルーツがあったとはねぇ。街あるきが愉しくなりそうです^^。
Posted by 風子風子  at 2016年08月08日 08:29
>風子さん

安中の史跡看板に比べると、ちょっと物足らない点もありますが、高崎としては第一歩を踏み出せただけでも、まずは良かったと思います。
一度、ご覧になってください。

「お富さん」のルーツ、高崎だったんですよ。
でも、知らない高崎市民も多いかも知れません。
ここで紹介しておかないと、やがて完全に忘れられちゃいそうで…。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年08月08日 18:55
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