2016年06月26日

史跡看板散歩-7 瀧谷不動尊

上並榎町の史跡看板「瀧谷不動尊」は、その名も「瀧谷不動公民館」の前庭にあります。







男滝女滝があったという崖は、今はなだらかな芝のスロープになっていて、その面影はありません。


明治十三年(1880)の地図では、滝もあったであろう崖が、ずっと連なっている様子が見られます。


平成元年(1989)発行の土屋喜英氏著「高崎漫歩」にも、「瀧谷不動尊」の記述があります。

テニスコートの崖上に瀧谷不動といわれる所がある。以前はお堂があったそうであるが、現在では露座の不動尊の石像が祀ってある。
瀧谷不動については何の記録も歴然としないが、護国寺の記録には境内の一画にあったとある。
かつて護国寺の境内は上並榎全域にわたっていたといわれた。
大門は小字雁田あたりにあり、西は唐崎の一本松あたりまでであったそうである。
瀧谷不動が境内にあったのは、境内が広かった千年も昔のことかも知れない。
瀧谷不動にはかつて滝があった。
この滝は並榎城の外堀の水を落としていたもので、この滝に打たれて修験者が修行をしたのである。
現在テニスコートになった河原では、修験者の火渡りなども行われたこともあった。」

上の地図でも「並榎城」の輪郭は何となく分かりますが、「新編高崎市史 資料編3」には山崎一氏の残した城郭図も掲載されていて、さらに位置関係がよく分かります。


滝の下の河原には、昭和五十八年(1983)に開催された「あかぎ国体」のために、テニスコートが造られました。
これが、いま「上並榎庭球場」となっています。


庭球場へ下る坂の手前に、こんな可愛いお地蔵さまが建っています。

そして、その少し先にあるのは、テニスコートが完成して間もなく、君ヶ代橋の袂から移設された「鬼城句碑」です。



いやー、説明板の文字にふり仮名を振ってくれてるのは、ありがたいですねぇ。
史跡看板は、このように子どもにも読めるような工夫をして頂くと、大人も大変助かります。

ということで、今回も注文を付けたところで、今日の散歩はここまでと致しましょう。

【瀧谷不動尊】


【並榎庭球場の鬼城句碑】






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