2016年07月03日

史跡看板散歩-8 大道西児育地蔵尊

「大道西児育地蔵尊」、この史跡は知らなかったので、けっこう探し廻りました。
大橋町にあるというので、てっきり北高崎駅の踏切より南だとばっかり思い込んでいたのです。
町の人に聞いても、知らないという人が多く、やっと一軒の衣料品店で教えてもらうことができました。

場所は、踏切から北へ90mほど行った、「ローソン」の近くでした。



近づくと、こんな感じの、こじんまりしたお堂です。




「大道」「三国街道」のこと、その西側にあるから「大道西」なんでしょう。

このお地蔵さま、子どもの身代わりになって首を切られちゃったんですね。

たしかに、お地蔵様の頭はただの石が乗っかってるだけです。

でもね、ほんとはどうだったんでしょう。

案外、誰かが村の大事なお地蔵様の首を落としちゃって、困ってつくった話だったりして・・・。

ま、そういうの、私は好きですけど。

不思議なことってのはあるもので、別件の調べごとで土屋喜英氏の書いた「高崎漫歩」をめくっていたら、ひょいっと目に飛び込んできた一節がありました。
信越線の踏切の北にも大橋町がわずかに張り出していて、そこにお地蔵さまが祀られている。
昭和の初めころの話であろうが、子供が自動車にひかれそうになったが、道路にふせたため怪我一つなかったということで、お地蔵様の近くでは交通事故はないとのことである。」

これ、今回の「児育地蔵尊」のことですよね。
ご利益は現代にも続いているようです。
そうなると、看板は「身代わり地蔵尊」とした方が良かったのではないかと思うのですが・・・。

お堂の中に、堂宇を改築した時の記念写真が飾られています。

後ろに、昭和六年(1931)九月吉日と書かれたものが写っています。
ちょうど、「西埼玉地震」が発生した月ですが、大橋町の被害は記録にありません。
もしかすると、お地蔵さまが守ってくれたのかも知れませんね。

地蔵堂の周りにも、馬頭観音や二十二夜様の石造物が建てられています。


この地区の人達の信心深さが現代にもつながっている、素晴らしい史跡だと思います。
史跡看板の設置により、これからも語りつがれていくことでしょう。


【大道西児育地蔵尊】






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