2016年06月19日

史跡看板散歩-6 旧群馬県工芸所の塀

「並榎橋」のすぐ近くにあるのが、「ブルーノタウト設計 旧群馬工芸所の塀」という史跡看板です。



看板には「群馬工芸所」とありますが、正しくは「群馬県工芸所」です。


「群馬県工芸所」があった場所は、いま「高崎市勤労青少年ホーム」になっています。


「群馬県工芸所」の建物は一切残っていませんが、塀の一部だけが当時のまま残されています。
この塀が、ブルーノ・タウトの設計だというのですが・・・。


大正十年(1921)四月、前橋「群馬県工業試験場」が設立され、桐生・伊勢崎・邑楽郡にその分場が置かれました。
高崎はやや遅れて、翌十一年(1922)八月に分場が置かれます。

「群馬県工業試験場高崎分場」「群馬県工芸所」と改名され独立したのは、昭和十一年(1936)四月のことです。




上の写真はいつ撮影されたものか分かりませんが、塀のデザインは今と同じです。
ブルーノ・タウト高崎にいたのは、昭和九年(1934)八月から十一年(1936)十月までですが、この塀は、はたしてその二年の間に造られたものなのでしょうか。

昭和十二年(1937)発行の「群馬縣工藝所要覽」に、次のような記述があります。
・・・群馬縣工藝所ハ昭和十一年四月一日ヲ以テ創立サレ、舊(旧)群馬縣工業試驗塲髙崎分場ハ仝(同)年三月末日廢止サレタルニ付、之ガ敷地、建物及設備ヲ繼承シ、同時ニ髙崎市ハ舊構内ニ寄宿舎ヲ新築シテ講習會受講者ノ宿舎トシ、北隣接地ヲ借入レテ染色工塲及汽罐室ヲ新築シ染色工塲内設備ノ大部分ト共ニ之ヲ寄附サレタリ。」

ブルーノ・タウトについての記述もあります。
時適ドイツ伯林(ベルリン)大學教授建築家ブルーノ・タウト博士來朝中ナリシヲ以テ、本縣ハ新工藝指導ヲ嘱託シ、同氏亦熱心ナル指導ヲ試ミ、工藝意匠上一新機軸ヲ開キ、群馬工藝ノ名聲ヲ髙メ又日本全國ノ工藝ニ新指針ヲ與ヘタリ。
昭和十一年九月、仝博士ハ土耳古(トルコ)政府ノ招聘ニ依リ「イスタンブール」大學教授トシテ赴任スル爲轉任セラレタルモ、其方針ヲ踏襲實行シツツアリ。」

ということで、建物と設備は「高崎分場」時代のものを継承したとあります。
塀についての記述は全くありません。
世界的大建築家の設計した塀とあれば、ここに記述しないはずはないと思うのですが・・・。

高崎の、いや群馬県の工芸品開発を牽引してきた「群馬県工芸所」は、昭和四十三年(1968)前橋市鳥羽町「群馬県工業試験場」に統合され、姿を消しました。

ついでですが、「群馬県工業試験場」は平成十五年(2003)「群馬県立産業技術センター」と改称し、前橋市亀里町へ移転しています。
その「群馬県立産業技術センター」には、ブルーノ・タウトの部屋が設けられていて・・・、





タウトの足跡や著作、資料、タウトが指導した工芸品のレプリカなどが展示されています。

そうそう、これもついでの話ですが、「旧群馬県工芸所」前の道を北へ300mほど行くと、「紡績踏切」という面白い名前の踏切があります。
史跡看板を見たついでに、寄ってみてください。

【旧群馬県工芸所の塀】


【紡績踏切】


【群馬県立産業技術センター】






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