2016年06月12日

史跡看板散歩-5 神明宮

「高崎中学校跡」の史跡看板から西へ、直線距離で120mほどの所にあるのが、並榎町「神明宮」(しんめいぐう)の史跡看板です。





説明看板にある「榎本於明神」というのは、たぶん「榎本於神明神」で、「神」の字が一つ抜けてしまったのだと思います。
「えのもと・おかみ・みょうじん」と読むのでしょう。

境内にある「神明宮由緒」の看板では、こうなっています。


どちらの看板にも書かれているのが、明応三年(1494)に始まったとされる「獅子舞」です。

「並榎町の獅子舞の流派は黒熊流だったが、明治の初めに稲荷流に変わり現在に至っている。そのせいか、並榎の獅子舞は足を踏みつける半閇(へんばい)の動作が強く、力強い踊りが特徴」
だそうです。(群馬県教育文化事業団「ぐんま地域文化マップ」)

では、その「獅子舞」を動画でご覧ください。
(高崎市の動画を一部編集させて頂きました。)

また、史跡看板には、「狛犬の台座に村上鬼城揮毫の並榎橋の親柱が使われている」とあります。
これがそうです。


橋の親柱ですからあと二本ある訳ですが、それはここから北北東400m、長野堰沿いの新「並榎橋」のところに残っています。


この親柱を使った「並榎橋」が竣工したのは昭和六年(1931)、長野堰の改修に伴い橋が架け替えられたのは昭和五十一年(1976)、使われなくなった親柱を台座に使って「神明宮」の狛犬が奉納されたのが昭和五十二年(1977)でした。

長野堰のほとりに残した二本の親柱も、目立たない場所ではありますが、よく残してもらえました。
欲を言えば、ここにも「名所旧跡看板」を立ててほしかったものです。

「神明宮」境内には、鬼城句碑もあります。
平成二十二年(2010)建立の、まだ新しいものですが。

「大雨に 獅子をふりこむ 祭可南(かな)」 鬼城

並榎町には、村上鬼城の居宅「鬼城草庵」があることから、その縁が深いのです。


「鬼城草庵」の事をブログに書いたのは、もう7年も前。
駆け出しの頃の記事ですが、よかったらご覧ください。
  ◇「崖の上の鬼城先生」

はい、今日はここまで。


【神明宮】


【並榎橋】


【鬼城草庵】






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この記事へのコメント
こんにちは。

村上鬼城の居宅は現在でも昔のままにあるのですね。どなたか縁者の方がお住まいなのでしょうか?
 
私の第一中学校時代といえばもう60年以上昔ですが、鬼城宅あたりはさほど家もなく、まっすぐに榛名山方向に伸びる剣崎浄水場からの水道道を通り、居宅の前を通って烏川に釣りにいったり川に面する崖でサワガニを採りました。もっとも鬼城の住まいと知ったのは成人してからですが。写真をみて板塀を含めて昔のままだと懐かしく思いました。

牧場がありました。牧場の名前は忘れました。片岡町の黒岩牧場、常磐町の栗本牧場、江木町の永井牧場、並榎町の??牧場、どうしても思い出せません。
Posted by toboketaG  at 2016年06月13日 16:47
>toboketaGさん

鬼城の居宅、いまでもそのまま残っています。
住んではいないようですが、連絡先に電話しておくと開けておいてくれます。
鬼城のご子孫の方と聞いたような記憶があるのですが。

近くの牧場というと、たぶん松井牧場だと思います。
現在の群馬建材のところですね。
昔の風景を思い出すというのも、またいいもんですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年06月13日 19:10
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