慈眼院の駐車場から「一路堂」木戸の前を通って、南へ行ってみましょう。
道の左には、第56話に出てきた「太平軒食堂」、右にはフクロウのいる店で有名な「かどや食堂」です。
この中に、「ナニコレ珍百景」や「はなまるマーケット」に出演(?)したフクロウ・福ちゃんがいるんですが、どれがそうか分かりますか?→
分からない人は、「かどや食堂」さんへ行ってみてください。
そこから少し歩くと、行き先板が建っています。
真っ直ぐ行くと「洞窟観音」ですが、右へ下って「ひびき橋」を渡り、「染料植物園」へ行ってみましょう。
「ひびき橋」は平成十年(1998)に完成した、高さ28.5m全長120mの吊り橋です。
その向こうに見える建物が、「高崎市染料植物園」です。
「ひびき橋」を渡ると、木道の空中回廊が続き、コンコンという足音が静かな森の中に気持ちよく響きます。
木道を抜けるとすぐ、「染料植物園」の入口に出て、「染色工芸館」の素敵な建物が現われます。
内部は撮影禁止なので、パンフレットから転載させて頂きます。
染料植物に特化した植物園というのは、たぶん、日本で唯一ここだけだと思います。
「高崎市染料植物園」を知るには、豊岡に「草木染研究所」を開いた山崎青樹氏を知らなければなりません。
山崎青樹氏が、著書「草木染 色を極めて五十年」の中で、「高崎市染料植物園」開設のエピソードを記しています。
こうして、平成六年(1994)「高崎市染料植物園」が開園となった訳です。
敷地面積 85,183平方メートル(25,770坪)。
染料植物 160種類 17,000本。
ですが、山崎青樹氏や「染料植物園」とのことについて、市民はどのくらい知っているのでしょうか。
高崎市のHPにも、「染料植物園」のパンフレットにも、平成十六年(2004)発行の「高崎市染料植物園10年のあゆみ」誌にさえも、記載されていません。
実は、四年前に行った飛騨古川で、この両者の知名度の高さを知って驚いたことがあり、「ちょいと飛騨古川へ(2)」で、そのことを書いています。
よく高崎はPR下手だと言われますが、由緒とか物語に人は関心を持ち、感動し、伝え、やがて名所となって多くの人が訪ねてくるものですので、「染料植物園」のPR方法についてもぜひ一考を願いたいところです。
さらに言えば、せっかく高崎に「染料植物園」がありながら、かつて高崎が染色の町だったという歴史や、今も活躍している高崎の染色業者や染色家の存在を伝える場になっていません。
勿体ないことです。
先人が、高崎の町全体のことを考えて観音山公園を整備したように、「染料植物園」が高崎全体のことを考えた施設になることを、心から願っております。
道の左には、第56話に出てきた「太平軒食堂」、右にはフクロウのいる店で有名な「かどや食堂」です。
この中に、「ナニコレ珍百景」や「はなまるマーケット」に出演(?)したフクロウ・福ちゃんがいるんですが、どれがそうか分かりますか?→
分からない人は、「かどや食堂」さんへ行ってみてください。
そこから少し歩くと、行き先板が建っています。
真っ直ぐ行くと「洞窟観音」ですが、右へ下って「ひびき橋」を渡り、「染料植物園」へ行ってみましょう。
「ひびき橋」は平成十年(1998)に完成した、高さ28.5m全長120mの吊り橋です。
その向こうに見える建物が、「高崎市染料植物園」です。
「ひびき橋」を渡ると、木道の空中回廊が続き、コンコンという足音が静かな森の中に気持ちよく響きます。
木道を抜けるとすぐ、「染料植物園」の入口に出て、「染色工芸館」の素敵な建物が現われます。
内部は撮影禁止なので、パンフレットから転載させて頂きます。
染料植物に特化した植物園というのは、たぶん、日本で唯一ここだけだと思います。
「高崎市染料植物園」を知るには、豊岡に「草木染研究所」を開いた山崎青樹氏を知らなければなりません。
山崎青樹氏が、著書「草木染 色を極めて五十年」の中で、「高崎市染料植物園」開設のエピソードを記しています。
「 | 昭和六十三年高崎市文化賞を受賞した式の後、松浦市長と昼食をとったが、その席上で『薬用植物園や万葉植物園はどこにでもあるが、染料植物園というのは一つもない。ぜひ作っていただきたい』と申し上げたところ、即座に『それはいいですね、作りましょう』と言われた。 |
『施設はどのようにすればいいでしょう』と聞かれ、『染料植物には古代から熱帯植物もあるのでぜひ温室は欲しいですね』と言った。 | |
このことがきっかけになり、六年計画で染料植物園が緑地公園課の手によって造られることになった。 | |
平成元年に道路工事がはじめられ、染色工芸館の設計図も作られた。 園内に植えられる植物の選定やその解説板の原稿制作などいろいろと忙しかったが、着々と工事は進められ、樹木も植えられていった。 |
|
平成四年には染色工芸館の建築も着工し、五年夏に工芸館は完成、入口のロビーには私の『榛名の朝』と『染料植物画譜』が納められた。 | |
園路の舗装もでき、いちおう整った形になった。」 |
こうして、平成六年(1994)「高崎市染料植物園」が開園となった訳です。
敷地面積 85,183平方メートル(25,770坪)。
染料植物 160種類 17,000本。
ですが、山崎青樹氏や「染料植物園」とのことについて、市民はどのくらい知っているのでしょうか。
高崎市のHPにも、「染料植物園」のパンフレットにも、平成十六年(2004)発行の「高崎市染料植物園10年のあゆみ」誌にさえも、記載されていません。
実は、四年前に行った飛騨古川で、この両者の知名度の高さを知って驚いたことがあり、「ちょいと飛騨古川へ(2)」で、そのことを書いています。
よく高崎はPR下手だと言われますが、由緒とか物語に人は関心を持ち、感動し、伝え、やがて名所となって多くの人が訪ねてくるものですので、「染料植物園」のPR方法についてもぜひ一考を願いたいところです。
さらに言えば、せっかく高崎に「染料植物園」がありながら、かつて高崎が染色の町だったという歴史や、今も活躍している高崎の染色業者や染色家の存在を伝える場になっていません。
勿体ないことです。
先人が、高崎の町全体のことを考えて観音山公園を整備したように、「染料植物園」が高崎全体のことを考えた施設になることを、心から願っております。
【高崎市染料植物園】