観音山シリーズはちょいとお休みを頂きまして。
山形県は山寺駅へ来ています。
ホームには、元禄二年(1689)に山寺を訪れた俳聖・芭蕉の有名な句、「閑かさや 岩にしみ入 蝉の声」の看板が。
その下からは、これから行く立石寺(りっしゃくじ)が、山のえらく高い所にあるのが見えます。
だいじょうぶかな・・・。
ホームの降り口では、「はながたベニちゃん」と「きてけろくん」が、「山寺さ来てけで ありがとさま!」って言ってます。
「きてけろくん」の顔が、山形県の形をしてるというのが面白い。
昭和八年(1933)開業の山寺駅は、「東北の駅百選」に選ばれているだけあって、お洒落でいい感じの駅舎です。
「天童温泉 観光駅馬車停留場」という幟旗が立っています。
これがその「観光駅馬車」です。
なんたって、無料で乗れるってのがすごい。
通常は土・日・祝日だけの運行ですが、紅葉の時期は平日も運行してます。
駅前のお土産屋さんを覗いたら、「焼きまんじゅう」というのを売っていて驚きました。
上州名物の「焼きまんじゅう」とはまったく違うものですが、焼いたお饅頭という意味ではこちらの方が正しいのかも知れません。
川向うに、でかい石がどーんと居座ってます。
「対面石」(たいめんせき)って名前らしいですが、なんでも山寺の開祖・慈覚大師圓仁が山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人・磐司磐三郎(ばんじ・ばんざぶろう)と、この大石の上で対面したというのが由来だそうです。
鉄砲打ちの盤三郎に、「ここに寺を建てるから、おまえ狩猟をやめろ。」というんですから、圓仁もいい度胸してます。
二人で話をしている内に、盤三郎は日光の猿麻呂(猿王)の子、圓仁は壬生の生まれと、お互い下野国の同郷人だということが分かり、話がうまく進んだようです。
←盤三郎と圓仁の像が安置されている「対面堂」です。
対面してないんですけど・・・。
盤三郎さん、めっちゃ怖そうな人じゃないですか。
いいなぁ、このお願い。
きっと叶いますよ。
ちなみに私は、隣の「幸福の鐘」を二回たたいて、自分の幸せだけを願ってきました。
(たぶん、叶わないな・・・。)
さて、ここから1070段あるという石段を上って、立石寺奥の院まで行ってきます。
なんとも綺麗に色づいた、楓の大樹が出迎えてくれました。
説明板を見ても何のことやらよく分かりませんが、お地蔵様の頭を撫でると長生きできるらしいので、いちおう撫でておきました。
「亀の甲石」なんてのもあって、小銭に名前を書いて願いたい場所に供えると叶うらしいのですが・・・、
個人情報が漏洩すると困るので、無記名にしておきました。
定番の「せみ塚」を見たり・・・、
紅葉の素晴らしさに見とれたりしている内に、いつしか800段を上りきり・・・
百丈岩の上に建つ納経堂が見えてきます。
崖下にある自然窟には、慈覚大師圓仁の遺骸が金棺に入れられ埋葬されているんだそうです。
ここからさらに上った「五大堂」からの眺めは、まさに絶景、絶景!
ひとしきり眺望を楽しんでから下山してくると、本坊脇の池に出ます。
池辺の楓の葉と、池に落ちた葉の紅が実に鮮やかで感動的でした。
と思ったら、落ち葉に見えたのは緋鯉の稚魚の群れでした。
びっくりぽん!です。
1070段という石段に覚悟を決めて臨んだのですが、途中の景色に見とれ、写真を撮り、説明板を読んだりしながらだったので、ほとんど疲れを覚えることもなく行って来られました。
わが高崎の清水寺の石段はここのほぼ半分で520段ですが、結構きつく感じます。
きっと、途中で立ち止まって見るものがなく、一気に登ることになってしまうからでしょう。
ここに、清水寺コース誘客策のヒントがありそうですね。
さて、今日はこれから山形市内へ向かいます。
山形県は山寺駅へ来ています。
ホームには、元禄二年(1689)に山寺を訪れた俳聖・芭蕉の有名な句、「閑かさや 岩にしみ入 蝉の声」の看板が。
その下からは、これから行く立石寺(りっしゃくじ)が、山のえらく高い所にあるのが見えます。
だいじょうぶかな・・・。
ホームの降り口では、「はながたベニちゃん」と「きてけろくん」が、「山寺さ来てけで ありがとさま!」って言ってます。
「きてけろくん」の顔が、山形県の形をしてるというのが面白い。
昭和八年(1933)開業の山寺駅は、「東北の駅百選」に選ばれているだけあって、お洒落でいい感じの駅舎です。
「天童温泉 観光駅馬車停留場」という幟旗が立っています。
これがその「観光駅馬車」です。
なんたって、無料で乗れるってのがすごい。
通常は土・日・祝日だけの運行ですが、紅葉の時期は平日も運行してます。
駅前のお土産屋さんを覗いたら、「焼きまんじゅう」というのを売っていて驚きました。
上州名物の「焼きまんじゅう」とはまったく違うものですが、焼いたお饅頭という意味ではこちらの方が正しいのかも知れません。
川向うに、でかい石がどーんと居座ってます。
「対面石」(たいめんせき)って名前らしいですが、なんでも山寺の開祖・慈覚大師圓仁が山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人・磐司磐三郎(ばんじ・ばんざぶろう)と、この大石の上で対面したというのが由来だそうです。
鉄砲打ちの盤三郎に、「ここに寺を建てるから、おまえ狩猟をやめろ。」というんですから、圓仁もいい度胸してます。
二人で話をしている内に、盤三郎は日光の猿麻呂(猿王)の子、圓仁は壬生の生まれと、お互い下野国の同郷人だということが分かり、話がうまく進んだようです。
←盤三郎と圓仁の像が安置されている「対面堂」です。
対面してないんですけど・・・。
↓
盤三郎さん、めっちゃ怖そうな人じゃないですか。
いいなぁ、このお願い。
きっと叶いますよ。
ちなみに私は、隣の「幸福の鐘」を二回たたいて、自分の幸せだけを願ってきました。
(たぶん、叶わないな・・・。)
さて、ここから1070段あるという石段を上って、立石寺奥の院まで行ってきます。
なんとも綺麗に色づいた、楓の大樹が出迎えてくれました。
説明板を見ても何のことやらよく分かりませんが、お地蔵様の頭を撫でると長生きできるらしいので、いちおう撫でておきました。
「亀の甲石」なんてのもあって、小銭に名前を書いて願いたい場所に供えると叶うらしいのですが・・・、
個人情報が漏洩すると困るので、無記名にしておきました。
定番の「せみ塚」を見たり・・・、
紅葉の素晴らしさに見とれたりしている内に、いつしか800段を上りきり・・・
百丈岩の上に建つ納経堂が見えてきます。
崖下にある自然窟には、慈覚大師圓仁の遺骸が金棺に入れられ埋葬されているんだそうです。
ここからさらに上った「五大堂」からの眺めは、まさに絶景、絶景!
ひとしきり眺望を楽しんでから下山してくると、本坊脇の池に出ます。
池辺の楓の葉と、池に落ちた葉の紅が実に鮮やかで感動的でした。
と思ったら、落ち葉に見えたのは緋鯉の稚魚の群れでした。
びっくりぽん!です。
1070段という石段に覚悟を決めて臨んだのですが、途中の景色に見とれ、写真を撮り、説明板を読んだりしながらだったので、ほとんど疲れを覚えることもなく行って来られました。
わが高崎の清水寺の石段はここのほぼ半分で520段ですが、結構きつく感じます。
きっと、途中で立ち止まって見るものがなく、一気に登ることになってしまうからでしょう。
ここに、清水寺コース誘客策のヒントがありそうですね。
さて、今日はこれから山形市内へ向かいます。