2009年03月02日

崖の上の鬼城先生

高崎市鞘町(さやちょう)に「村上鬼城先生旧居跡」の記念碑が建っている。
街なかに住んでいる人には、もうお馴染みのものであろう。

村上鬼城は、小林一茶と並び称されるほど有名な俳人で、今さら私が説明するのもおこがましい。

おこがましいが、ほんのちょこっと逸話だけ・・・。

鬼城は8歳の時、家族とともに江戸から高崎に移ってきたが、ここで波乱万丈とも言える人生を送ることとなる。

幼少からの耳の持病に悩まされ、人一倍努力したにも拘らず、軍人、政治家、弁護士の職を次々と諦めざるを得なくなる。
やっと高崎裁判所代書人の職に就いたが、ここでも耳が不自由なために依頼人が付かず、職を解かれてしまう。
この間、二男八女の子を持っていた鬼城は、困窮の極みであったようだ。

その状態を知った中央俳壇の名士達が、裁判所に掛け合った結果、鬼城は再び復職することができたという。
それまで高崎裁判所は、「そんな偉い人だとは知らなかった・・・」らしい。

しかし、昭和2年、またまた不幸が鬼城を襲い、鞘町の居宅は火災に遭って全焼してしまう。
途方にくれる鬼城に手を差し伸べたのは、またしても俳壇の仲間や、弟子たちであった。
その助力を得て、鬼城並榎町の崖上に新しい居宅を構えることとなる。

前回ご紹介の「五輪坂」を上り切って右へ曲がると、「末日聖徒イエス・キリスト教会」がある。

道の反対側に、写真のような細ーい路地があって、そこが「崖の上の鬼城先生」の家への近道である。


もっとも、そんな細い道に入り込まずとも、そのまま道なりに進んで行けば、突き当りの電信柱に大きく「鬼城草庵」への案内看板が出ている。

この「鬼城草庵」こそ、村上鬼城鞘町の旧宅から越してきて、晩年を過ごした居宅である。
鬼城はここを「並榎村舎」と命名し、自らの俳句活動や弟子たちの指導に努めた。

当時の家屋が、そのままの佇まいで残っているのが嬉しい。

今は現代的な住宅に囲まれているが、鬼城がこの家に住み始めた頃は、周りは田畑で、日当たりも見晴らしも抜群であったという。
鬼城自身、「榛名山の裾はわが家の門前まで来ている。」と喜んだと伝わっている。

「鬼城草庵」の2階にある書斎も、当時のまま残されている。

そう、そう、昔はどの家もこんな部屋だったなぁと、懐かしさが込み上げてくる。

廊下からは、かろうじて当時の眺望を想像することができる。

ところで「鬼城」という雅号の由来であるが、これは故郷、鳥取県若桜町(わかさまち)にある「若桜城」の別称「鬼が城」からとったのだという。
鬼城の父は鳥取藩江戸屋敷住まいの武士であったが、廃藩置県を機に自ら町民となり、群馬県役人として赴任してきたのである。

さて、いつまでもこのまま残したい「鬼城草庵」であるが、現在は鬼城のご子孫が、すべて私財で守ってくださっている。
せめて、光熱費、資料のメンテンナンス費用だけでも、高崎市で補助できないものであろうか。
また高崎市民としても、折に触れ「鬼城草庵」を訪れて欲しいものである。
入館料500円が、貴重な「観光資源」存続のための糧となる。

「鬼城草庵」 高崎市並榎町288
             Tel.027-326-9834 Fax.027-326-9835
訪れる際は曜日を問わず、必ず事前に電話予約をして頂きたい。


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この記事へのコメント
村上鬼城って高崎市民でも詳しく知らない人が多いのではないでしょうか。
ちなみにうちの奥様は「鬼城草庵」の事を蕎麦屋だと思っていたようです・・・。
おいらも行ったことないし・・・。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年03月02日 22:00
>弥乃助さん

奥さまに、残念でしたとお伝えください。
鬼城が勤めていた裁判所の跡地は、今、スズランになってますので、地下で立ち食い蕎麦でもいかがでしょう?

現在の裁判所の庭には、鬼城の句碑も建ってますよ。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年03月02日 23:13
ええっ!!

昭和51年冬、僕が住んでいたところ・・・・・
村上鬼城記念館のと背中合わせ???
その地図で行くと、東国歴史文化街道上の路地、どん詰まりのところです。
車が入れず、当時は、いわゆるその「記念館」あたりに路駐しておりました・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年03月03日 17:13
>昭和24歳さん

それは、それは!
本当に、何かご縁が深いですね。
私の行く先々に昭和24歳さんがいる。

さーて、次はどこにしようかな~?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年03月03日 21:54
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    コメント(4)