2015年06月21日

駅から遠足 観音山(37)

「芳迹不滅」碑の左に、清水寺の裏山に上る小道があり、「矢島八郎翁銅像入口」という小さな看板が立っています。



小道を上っていく途中に、

天地(あめつち)の 
 おのつからなる ふみよみて
  まことの道を 人はゆかなむ
 
田島尋枝

という歌碑があります。

田島尋枝は、このシリーズ32話でご紹介した深井仁子さんに、皇学を指導したという「清香庵」の主人です。

明治四十三年(1910)発行の「高崎案内」で、「清香庵」はこう紹介されています。
連雀町にあり、家號をますやと云ひて三代相傳の鰻鱺(うなぎ)店なり。
開業の當時、其妻君即ち當主人の祖母は、江戸靈岸島の大黒屋に到り蒲焼の調理方を練習して、江戸前の喰い味専門にて賣出せしなり。
當主の父は、業體に不似合なる有名の皇典學者にして、故小中村淸矩博士等と親友なりし。
當主は、體軀布袋然として容貌惠比壽然たり。和歌に巧妙なり。
一見營業には疎きやに見えれども、其間に云ふ可らざるの妙を有し、愛顧する華客(とくい)多く繁盛しつゝあり。
蒲焼の風味も良く、座敷の設備も行届き居れり。」

「清香庵」連雀町のどの辺にあったかというのは、昭和三十三年(1958)発行の田中友次郎著「大手前の子」の中で、著者の記憶によるという町の図に描かれていました。



実は3年前、田島尋枝氏の曽孫の方からメールを頂戴したことがあります。
突然のメール失礼します。
曽祖父のことが記されていたのでうれしくなってメールしました。
清水寺には曽祖父の歌碑もあります。
亡くなった後に矢島八郎さんたちが立ててくれたようです。(裏に発起人の記名があります)」

このメールを頂いて初めて、清水寺田島尋枝の歌碑があることを知りました。
また、ご本名は廣吉で、下横町向雲寺にお墓があることも教えて頂きました。

深井仁子とともに、田島尋枝「清香庵」という名前も、記憶しておきましょう。

さて、さらに小道を上って、田島尋枝の歌碑を建てたという矢島八郎に会いに行きましょうか。





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この記事へのコメント
清水寺は石段と周囲のおおまかな様子しか
知りませんでしたが、今では忘れられてしまった
立派な人物の歌碑があり、高崎に生きた人の想い
が眠っているのですね。
心して歩かなければ・・・。
Posted by 風子風子  at 2015年07月03日 09:35
>風子さん

私も、今まで素通りしていたものばかりです。
知るということは、歩くことさえも楽しくさせてくれるものですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2015年07月03日 19:23
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    コメント(2)