2009年02月28日

五輪坂の名庭園

上るのは大変だが、下るのはあっと言う間の急坂という意味なのだろうか、「あっと言う間の五輪坂(ごりんざか)」と言われていたらしい。

「君ヶ代橋の親柱」から並榎町西の信号を渡ると、右手前方に見える右カーブの上り坂が「五輪坂」である。

「五輪坂」の名前の由来は、諸説ある。
その昔この辺りに五輪の塔が並んでいたからとか、源頼朝が上州三原の巻狩りの際にこの辺りに陣を敷いたので「御陣坂」が正しいとか、「あっ」という間に下ってしまうので一銭の半分で「五厘坂」だというのまである。

「五輪坂」を上って真っ直ぐ行くと、左側に「護念寺」がある。

だが、門構えにしても、建物にしても、どうもお寺という雰囲気ではない。

恐る恐る中に入ってみると、境内というよりも庭園に近い。



この「護念寺」、意外と新しいお寺で、昭和20年(1945)頃この地に構えたようだ。
それ以前はというと、あまりはっきりした資料が見つからない。

「高崎開化扣帖(ひかえちょう)」金井恒好氏は、
「五輪坂の崖上に歌川町の小島家の別荘があった」と書いている。
浅間山を遠望するという意味であろうか、「望浅閣」と名付けられたこの別荘は、大正年間から戦前まで、高崎有数の高級料亭として賑わったとある。
年代から言っても、庭園の造作から言っても、この「望浅閣」の跡地に「護念寺」を構えたと思ってよいであろう。

そう思ってみれば、奥まった数寄屋造りの居宅も、それらしい趣が感じられる。







残念なことは、折角の名庭園が、あまり手入れされていないことである。
法人の持ち物とあれば如何ともし難いが、高崎の貴重な「観光資源」となることは間違いない。
何とか整備できないものかと思いながら、庭園を後にした。

【五輪坂】



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この記事へのコメント
長女が生まれたころこの坂上のしもた屋に住まわせてもらっていました。
広い畑に梅の木のあった一軒家でした・・・・
2年ほどだったでしょうか。
あのあたり独特の雰囲気のところですね。
ところで、ご一献なんですが3月3日のご機嫌伺いです。
ご都合よろしければぜひご参加ください。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年02月28日 20:52
>昭和24歳さん

そうなんです、村上鬼城も気に入っていたそうですし、今も雰囲気いっぱいのところですね。
まだ、高崎市の壊し屋さんもここまでは手が回らないようで・・・。

お誘いありがとうございます。
メッセージの方に入れさせていただきます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年02月28日 21:14
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五輪坂の名庭園
    コメント(2)