2015年05月17日

駅から遠足 観音山(32)

清水寺の石段がカギの手に曲がる所に、明治になって石段下から移されたという「馬頭観音堂」があります。



「馬頭観音堂」の周りには沢山の石碑や石塔がありますが、その中でひときわ大きな石碑が目を引きます。
明治期の教育者・深井仁子の徳を頌する「徳音碑」です。
この碑については、まだ駆け出しの頃、いちど記事にしたことがあります。→ ◇深井仁子さんって知ってますか?

碑文は難しい漢文で刻まれていますが、昭和二年(1927)発行の「高崎市史」にその読み下し要約が載っています。
仁子ハ藩臣深井資治ノ三女、天保十二年二月二日生ル、其生ルニ先ダツ數月府君(ふくん:亡父)歿ス、母氏貞烈難苦鞠育(きくいく:養い育てる)ス、仁子長ジテ文ヲ修メ武ヲ習フ令名アリ、
時ニ勤王佐幕ノ論大ニ起ル、仁子慷慨大義ヲ唱フ、通常幗巾(くかんき:女性)ノ流ニアラズ、危難頻ニ迫ルモ毅然トシテ屈セズ、幸ニ其身ヲ全フセリ、
明治戊寅ノ年、國振學校ヲ興シ、丁未更ラニ幼稚園ヲ開ク、教化ニ身ヲ致スコト三十有余年、後門人相謀リ壽碑ヲ其庭内ニ建テ徳ヲ頌ス、
仁子終身嫁セズ、和歌ヲ詠ジ自ラ娯シム、其交友スル所ノモノハ天下知名ノ士ナリ、大正七年九月歿ス年七十七」

これによると、「壽碑」として幼稚園の庭に建てられたとあります。

掲載されている写真はぼんやりとしていますが、確かに背景が清水寺の石段ではないようですし、碑の周囲に石玉垣もあるようです。

形も同じようでもあり、違うようでもあり、よく分かりませんが、「大正三年十一月十八日」という日付や題・撰・書・建それぞれの人名は同じですので、おそらく同じもので、ある時移設されたものと思われます。

仁子さんが明治十一年(1878)宮元町に開設した「国振(くにふり)学校」と、 明治四十年(1907)に開設した「私立深井幼稚園」が、大正三年(1914)の「高崎市街全圖」に載っていました。



現在の地図だと、ちょうどこの辺ですね。


深井仁子さん、もう知る人も少ないのでしょうね。
清水寺の石段を上る時、一休みするのにちょうどいい場所に「徳音碑」があります。
どうぞ、深井仁子さんのことを思い出してやってください。

さて、一休みしたら、また上りましょう。






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この記事へのコメント
楫取素彦は小学校の建設や義務教育にも力を注いだと言われていますが、市井にも教育につくした女性がいたのですね。
深井仁子さんの名と石碑を記憶して、機会がありましたら訪ねてみたいです。
Posted by 風子風子  at 2015年05月22日 11:08
>風子さん

「国振学校」や「深井幼稚園」について、もっと知りたかったのですが、資料が見つかりませんでした。
江戸時代末期の寺子屋から学校制度に変わるところでは、いろいろ興味深いことがあったように思います。
折々、調べてみたいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2015年05月22日 16:51
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    コメント(2)