2015年04月12日

駅から遠足 観音山(28)

田村仙岳下仁田戦争の戦死者をどのように収容し供養したのか、高橋敏氏著「国定忠治を男にした女侠 菊池徳の一生」に最も詳しく書かれているので、引用させて頂きましょう。

水戸浪士が去った下仁田戦場の惨状は言語に絶するものであった。
死屍累々。至るところに白兵戦のすさまじさを物語る太刀や槍、武具が散乱し、重傷を負い息絶えた者や負傷した者が取り残され、浪士により処断された藩士の首や遺体は放置されたままであり、敗北の悲劇をまざまざと見せつけていた。
下仁田戦場に家族関係者ともども真っ先に駆け付け、戦死者の遺体を探し出し、弔ったのは田村仙岳であった。
(略)
十九日、仙岳らは下仁田に駆け付ける。
敗戦の高崎藩士は、武田耕雲斎らの首実検を受けた後、専修院に埋められた者八名の他は、討死場所に放置されたままであった。
首の付いた死者は稀で、ほとんど首を落とされ、屍を喰う犬もあり、何よりも戦死者を収容することが急がれた。
仙岳は遺族、親類縁者を引き連れ、戦場を駆け廻って、死者への読経に余念がなかった。」

このあと仙岳は、高崎清水寺境内に寺の開祖・坂上田村麻呂を祀る堂宇「田村堂」を建て、その中に戦死者の木像を祀って、その霊を後々の世まで弔うことを発願します。

祀られている戦死者36名には、高崎藩士31名の他に、医師や町人など民間人5名が含まれています。

この時の仙岳の気持ちを、高橋氏はこう書いています。
仙岳の本意は、君命を奉じて戦場に討死するは武士の本分で誇るに足らず、むしろ、たまたま巻き込まれた戦いに徴発され命を落とした者の肖像を後世に残すことにあった、という。
仙岳は、ただ高崎藩におもねるために戦死者の供養に邁進したわけではない。
幕末維新の激動に倒れた身分の低い足軽、小物、百姓町人身分の戦死者に対して、深く追悼する気持ちがあったのである。
仙岳も姉徳に似て、弱きを扶ける任侠の風格を備えた傑僧であったといえよう。」

大正二年(1913)の下仁田戦争50年祭にあたり、傷みのひどくなった田村堂は建て替えられ、木像も作り直されています。
また、昨年は下仁田戦争150周年にあたることから、木像36体を初めて「田村堂」から出して高崎シティギャラリーに展示し、「慰霊木像と原画絵巻展」が開催されました。

その時の説明動画を、「高崎史志の会」の方がYoutubeにUPして下さっていますが、その中から田村堂に関する部分を抜粋させて頂きました。
全ての説明をご覧になりたい方は、こちらからどうぞ。

下仁田戦争が終わった後も、高崎藩はいくつもの戦に巻き込まれ、そのつど藩士の命は露と消えてゆきました。

下仁田戦争では36名、戊辰戦争では6名、西南の役では7名の戦死者を出しています。

明治十一年(1878)その魂を祭り鎮めるための「褒光招魂碑」が、旧藩士族17名の発起により頼政神社境内に建立されました。
碑の篆額を書いたのは、藩兵をそれぞれの戦に送ることとなった高崎藩最後の藩主・大河内輝聲です。

同じく下仁田の戦地に、旧高崎藩主並びに690人の有志者により「高崎藩士戦死之碑」が建てられたのは、三十年祭にあたる明治二十六年(1893)でした。
この碑の建立の経緯については実に興味深い話しがあるのですが、いつかまたあらためて記事にしたいと思っております。

下仁田の戦争史跡については、ブログ仲間の風子さんが取材してくれていますので、そちらをご覧ください。
   ◇下仁田・歴史さんぽ (1)♪
   ◇下仁田・歴史さんぽ (2)♪
   ◇下仁田・歴史さんぽ (3)♪

さて、仙岳さんのことに話を戻しますと、この四年後にまたまた高崎藩の騒動に巻き込まれることになります。
次回はそのお話を。


【田村堂】


【褒光招魂碑】






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この記事へのコメント
度々拙ブログにリンクいただき、ありがとうございます。
状態のよろしくないデジカメ画像なのでお恥ずかしい次第ですが、多少なりとも読者の皆さんの参考になれば幸いです。

私も高橋敏氏の本で下仁田戦争の戦死者の中に民間人がいたことを知ったときは、衝撃を感じました。
頼政神社境内の鎮魂碑は知りませんでしたが、今度出掛けたときに確かめたいと思います。
Posted by 風子風子  at 2015年04月13日 11:09
>風子さん

詳しい下仁田さんぽの記事だったので、ありがたかったです(^.^)

「褒光招魂碑」は、内村鑑三の「上州人」碑の陰で霞んじゃってます。
ほとんど知られてないと思うので、ぜひ見てやってください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2015年04月13日 20:01
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