2015年02月22日

駅から遠足 観音山(22)

さて前回は、 「夫・伊八を亡くした叔母が、13歳の豊次郎に左官職を継がせようと、高崎寄合町の室田屋という左官の親方の所へ弟子入りをさせた。」というところまででした。

この室田屋について、本多夏彦氏はこう書いています。

室田屋は只今の救世軍の筋違向ふ邊で、神宮文右衛門といって、職人でこそあれ、中々見識高い一國親爺で、或いは多少の學問もあったのではないかと思はれます。」

「救世軍」は今でも同じ場所にあります。


ただ、「筋違い向こう」って表現は、初めて聞きます。
「筋向こう」とか「筋向かい」ってのは、斜め前ということになりますが・・・。
ま、「違い」が付いていても、そんなに違いはないのでしょう。

その室田屋のすぐ近所に、久米逸淵(くめ・いつえん)という俳諧の宗匠が住んでいました。
この逸淵という人なかなかユニークな人物で、何か品行上のことで女房から勘当されちゃって、高崎へ流れてきて二度目の女房と暮らしながら、俳諧の弟子をとって暮らしてたらしいのです。

何事にも鷹揚な人だったようで、指導するにも長所を伸ばすというやり方で沢山の弟子を集め、この人のおかげで高崎はじめ上州の俳壇はめきめき盛んになっていったといいます。

逸淵さん、室田屋文右衛門さんと気が合ったものか、朝な夕なに室田屋に遊びに来ていて、そこにいた豊次郎は、次第に門前の小僧よろしく俳諧に惹かれていったようです。
豊次郎ののめり込みぶりを、本多夏彦氏の文で見てみましょう。

毎晩仕事を仕舞って、五文の湯錢を貰って、錢湯へ行くかと思ふと、西馬(とよじろう)はズンズン宗匠の家に入って行って、行燈の下に蹲って、逸淵から借りた「俳諧七部集」を讀むのですが、子供ではあり、晝間の勞働に勞れてるから、いくら好きでも直き眠氣がさして、その儘居處寝をし、逸淵のお神さんに起こされる、ともう遲くなって、錢湯へゆくことが出來ない。

毎晩かういふことを繰り返してる内に、湯錢の五文が行燈の油皿へ乘せたまゝ、積り積って、二百七十文になってしまった。
逸淵のお神さんのお連といふ婦人が西馬の熱心にスッカリ感心して、自分が百文足し前して、例の「俳諧七部集」を買って遣りましたから、西馬は嬉しくって溜りません。
それからは、左官の仕事に行くにも、いつでも懐に七部集を持って居て、職人のお茶休みなどには、自分は静かな處でこれを讀む。
かうして二三年經つ内に、西馬は、自分も是非、俳諧師になりたいと思ふ様になりました。」

文政九年(1826)19歳になった豊次郎は、病膏肓に入るとでも言いますか、ついに叔母を説得して左官の道を捨て、逸淵の家に内弟子として住み込むようになります。
豊次郎は最初の号を「樗道」(ちょどう)と付けました。

樗道に力が付いてくると、かねてから江戸へ進出しようと思っていた師匠・逸淵は、樗道に留守を任せて頻繁に江戸へ出掛けるようになります。
そして、天保六年(1835)にはついに高崎を引き払ってしまいました。
後に残った樗道はそれを機に独立し、号も「毛軒西馬」と改めます。

実父・富所忠兵衛が58歳で亡くなったのは、それから三年後の天保九年(1838)のことでした。
忠兵衛の後妻・お紋に子がなかったため、西馬は実家に戻り、「富所西馬」と名乗るようになります。

実家の主となった西馬には、もはや道楽で俳諧を楽しんでいるだけでは済みません。
名を広め、沢山の弟子を集める必要に迫られたのでしょう。
そこで天保十三年(1841)、江戸から当代随一の宗匠・田川鳳朗、師匠・久米逸淵を招いて、高崎清水寺に於ける盛大な句会、俳諧百韻興業をぶち上げたのです。

その記念に建立したのが、このシリーズ18話でご紹介した、清水寺石段下の「芭蕉句碑」という訳です。

いかがでしょうか、西馬さんのことが少し分かってくると、この芭蕉句碑も何だか愛おしく思えてきませんか。

次回は、西馬さんが江戸へ繰り出し、「惺庵西馬」になるというお話です。

(参考図書:「上毛及上毛人199号 俳人西馬の一生」)





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この記事へのコメント
西馬さんの少年時代のお話は、時代小説で人情噺を読んでいるような愉しさがあります。
青木夏彦さんは、1947年に古文書研究において第1回の高崎文化賞を受賞された方だそうですが、迷道院さんのご紹介のお陰で、偉業の一端をうかがい知ることができました。
Posted by 風子風子  at 2015年03月01日 10:48
>風子さん

私も、石段下に芭蕉句碑があるのは前から知っていたんですが、それほど興味はありませんでした。

今回、西馬さんのことを知って初めて興味を持ったような次第です。
物語りというのは、大切なものですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2015年03月01日 12:15
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