「井桁の井戸」の先に、お地蔵様なのかな?
あったかそうな帽子をかぶり、綿入れ半纏を着せてもらった石仏がちょこんと座ってます。
どなたのお志か分かりませんが、嬉しいですね。
今日は、その隣に建っている「芭蕉句碑」のお話です。
恥ずかしながら、徘徊はしていても俳諧には全く疎い迷道院でして、この句は芭蕉さんが清水寺へ来て詠んだものだとばかり思っていました。
しかし調べてみると、深川の芭蕉庵から浅草の浅草寺の屋根を見て詠んだものだそうです。
それでも、「県内二百基ある芭蕉句碑のうち、由緒においてその右に出るものはないであろう。」ということで、高崎市の指定重要文化財になっています。
ところが、有名な郷土史家・本多夏彦氏からは著書「上毛芭蕉塚」の中で、こうこき下ろされちゃっています。
やれやれ、身も蓋もないという感じですが、一応、碑背の刻文も記しておきましょう。
ま、ともあれ、天下の諸侯を利用して芭蕉の百五十回忌を開いたという西馬さん、どんな人物なのかそこには興味を覚えます。
ということで、次回は西馬さんについてのお話です。
あったかそうな帽子をかぶり、綿入れ半纏を着せてもらった石仏がちょこんと座ってます。
どなたのお志か分かりませんが、嬉しいですね。
今日は、その隣に建っている「芭蕉句碑」のお話です。
正風宗師之碑 |
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観音の | ||
甍(いらか)みやりつ | ||
はなの雲 | ||
芭蕉 |
恥ずかしながら、徘徊はしていても俳諧には全く疎い迷道院でして、この句は芭蕉さんが清水寺へ来て詠んだものだとばかり思っていました。
しかし調べてみると、深川の芭蕉庵から浅草の浅草寺の屋根を見て詠んだものだそうです。
それでも、「県内二百基ある芭蕉句碑のうち、由緒においてその右に出るものはないであろう。」ということで、高崎市の指定重要文化財になっています。
ところが、有名な郷土史家・本多夏彦氏からは著書「上毛芭蕉塚」の中で、こうこき下ろされちゃっています。
「 | 芭蕉句中で一番句碑に多い句で、高崎市清水観音仁王門下にも郷土出身の江戸俳人西馬(さいば)によって立てられている。 |
これは天保十三年(1842)西馬にすれば開店大売出しともいうべき俳行事に、地方の俗俳どもを煙に巻く必要から、あんな不風流極まるものになったので、高吟が書家の巻菱湖(まき・りょうこ)、テン額と碑背記が小大名ながら天下の諸侯をならべたこけおどしの道具立て、清水寺では鳳朗(ほうろう)の文台で百韻興業というバカ騒ぎの記念だから仕方がない。」 |
やれやれ、身も蓋もないという感じですが、一応、碑背の刻文も記しておきましょう。
「 | 俳聖芭蕉翁の百五十回の遠忌に當れるにあひて、惺庵西馬(せいあん・さいば)兼て追福を営むに社盟数十輩と議り、清水寺内に地を卜して一塚を築り、碑面篆額の贈號は故二條公の粟津の霊室に賜ふ處なり。 |
今四山これに筆を採、また高韻を書る者は菱湖に聞、清水寺は上毛第一観音の霊場にて洛の清水に景趣等しきと云。 句も亦彼を取てこゝに移す相當 |
「 | れる成べし。 |
予、この道に遊ふの因を以て一條の来由を祭主の為にしるす。 | |
維時天保十三年龍集壬寅三月 五品多々良大内瀾長」 |
(句読点は迷道院加筆)
ま、ともあれ、天下の諸侯を利用して芭蕉の百五十回忌を開いたという西馬さん、どんな人物なのかそこには興味を覚えます。
ということで、次回は西馬さんについてのお話です。