
「石昌寺」は「小祝神社」の別当寺である。
(別当寺:神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれた寺―Wikipedia)

右手に「薬師堂」がある。 →
その「薬師堂」の引き戸の内側に、面白いものが貼ってあった。
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「め」とか「目」とかの字がたくさん書かれている紙である。
おそらく、薬師様に眼病の平癒を願って、信徒さんが貼ったものであろう。
高崎市では、あまりお目にかかることはなかったのだが、日本各地には「目の薬師」という、眼病にご利益のある薬師様が沢山ある。
有名なのは、東京の「新井薬師」であろうか。
川越の、「時の鐘」の奥にある薬師様もそうだ。
実は、この「石昌寺」の「薬師様」と、「小祝神社」の祭神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」とは、面白いつながりがある。
先に出てきた「神仏習合」という考え方は、仏教伝来の際に日本古来の神様を否定する訳にもいかず、「日本の神様は、本来の仏様が姿を変えて現われたのだ。」とこじつけた「本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)」に基づいている。
それによると、「少彦名命」の本地(仏)は、「薬師如来」ということになっている。
また、「薬師」はふつう「やくし」と読むことが多いが、「くすし」とも読むのである。
「くすし」とは、「薬を用いる師」という意味で「医者」のことであるが、神代に於いては「薬師の神(くすしのかみ)」というのがいて、医療や呪(まじな)いの法を定めたという。
そして、日本にはその「薬師の神」が二人いて、一人が「大己貴命(おおなむちのみこと)」、もう一人がご存じ「少彦名命」である。
しかも、しかも、「大己貴命」とは、「少彦名命」と一緒に国造りをしたという「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の若い頃の名前なのである。
いや~!ほんーっとに、
高崎って面白い街ですねー!
・・・って、もしかしてわたしだけ?
【石昌寺】