「羽衣線」のY字路から清水の石段下へ向かうと、建設機械が盛んに地面を掘っていました。
ここは、つい最近までこんな風景でした。
東日本大震災で屋根の棟が崩れてしまっていますが、立派な煉瓦蔵がありました。
ぐるっと回って玄関の方から見ると、こんな感じのお屋敷でした。
屋敷の角に「伊香保温泉 福一」の大きな看板があります。
「なぜここに福一?」と思われるかも知れませんが、「福」の字でご推察頂けると思います。
昔、伊香保の「福一」に奉公する仲居さんは、そのほとんどが田舎出の若い娘さんでした。
その娘さんたちに、この福田邸に住込みで行儀作法を教え込み、一人前になってから送り出すという、いわば「福一」の教育施設だったのです。
4年前、ある方のご紹介で、このお屋敷を見学させて頂く機会を得ました。
その時は、既にオーナーの方はこのお屋敷の売却を決意されていて、家の中の品々の整理をされているところでした。
売却するにあたって建物はすべて解体して更地にしなければならないというお話で、実に残念に思いましたが、オーナーさんはもっと残念なお気持だったことでしょう。
ブログ記事にしないというお約束で、写真を撮らせて頂きました。
今年の9月、オーナーさんから「いよいよ解体することになりました。」というお電話がありました。
さっそく解体現場に駆け付け、惜しみつつ旧・福田邸とのお別れを致しました。
今はもう見ることのできない素敵な旧・福田邸ですが、ブログ掲載については快諾して頂きましたので、皆さんには4年前に作成したスライドショーで見て頂きましょう。(BGMあり)
さて今回はここまでとし、次回は、清水寺の参道です。
ここは、つい最近までこんな風景でした。
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東日本大震災で屋根の棟が崩れてしまっていますが、立派な煉瓦蔵がありました。
ぐるっと回って玄関の方から見ると、こんな感じのお屋敷でした。
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このお屋敷、白衣大観音と同じ昭和十一年(1936)建築の旧・福田邸です。屋敷の角に「伊香保温泉 福一」の大きな看板があります。
「なぜここに福一?」と思われるかも知れませんが、「福」の字でご推察頂けると思います。
昔、伊香保の「福一」に奉公する仲居さんは、そのほとんどが田舎出の若い娘さんでした。
その娘さんたちに、この福田邸に住込みで行儀作法を教え込み、一人前になってから送り出すという、いわば「福一」の教育施設だったのです。
4年前、ある方のご紹介で、このお屋敷を見学させて頂く機会を得ました。
その時は、既にオーナーの方はこのお屋敷の売却を決意されていて、家の中の品々の整理をされているところでした。
売却するにあたって建物はすべて解体して更地にしなければならないというお話で、実に残念に思いましたが、オーナーさんはもっと残念なお気持だったことでしょう。
ブログ記事にしないというお約束で、写真を撮らせて頂きました。
今年の9月、オーナーさんから「いよいよ解体することになりました。」というお電話がありました。
さっそく解体現場に駆け付け、惜しみつつ旧・福田邸とのお別れを致しました。
今はもう見ることのできない素敵な旧・福田邸ですが、ブログ掲載については快諾して頂きましたので、皆さんには4年前に作成したスライドショーで見て頂きましょう。(BGMあり)
さて今回はここまでとし、次回は、清水寺の参道です。
【旧・福田邸跡】