2014年11月23日

駅から遠足 観音山(10)

駅から遠足 観音山(10)観音山へのゲートのような、石原歩道橋。

「ようこそ、観音山へ!」の横断幕でもあったら、いいんじゃないでしょうかねぇ。

歩道橋の手前を左斜めに入っていくと、「あかりの資料館」があります。
私設の資料館ながら、実に充実しています。
ぜひ、お訪ね頂きたいおすすめスポットです。

駅から遠足 観音山(10)歩道橋をくぐってすぐ右角に建っている大きな塔は、「七士殉職供養塔」です。

昭和十年(1935)にこの付近を襲った大洪水の際、救出にあたって殉職した高崎第15連隊の兵士7名の慰霊供養塔です。
   (◇過去記事「七士殉職供養塔」

駅から遠足 観音山(10)この大洪水で、連隊兵営(現城址公園)と烏川右岸の「乗附練兵場」とを結ぶ「振武橋(しんぶばし)」も、流失しています。

「振武橋」は、昭和九年(1934)の陸軍大演習の最後に「乗附練兵場」で観兵式が行われ、天皇陛下が行幸されるために架けられた橋で、当初は「行幸橋(みゆきばし)」と呼んだようです。

一般人が利用する橋ではなかったためか、当時の地図を見ても記載されておらず、どの辺に架かっていたのかよく分かりませんでした。
ところが、別件で「陸軍特別大演習竝地方行幸髙﨑市記録」という本を見ていた時、それらしき橋が描かれている図を見つけました。

駅から遠足 観音山(10)

分かりますか?少し拡大してみましょうか。
駅から遠足 観音山(10)

でも、どこなのか分かりませんよね。
そこで、昭和9年の高崎市街図に橋の線を写してみました。
(方位は「整列位置要図」に合わせてあります。)
駅から遠足 観音山(10)

ちょうど、今の「和田橋」の辺りだったんですね。

駅から遠足 観音山(10)さて、話を戻しましょう。

今は「聖石橋」から清水寺の石段下まで、道はまっすぐ通っていますが、この「観音道路」が出来たのは、昭和七年(1932)でした。

それまではというと、写真の「七士殉職供養塔」から斜め右に入って、くねくねと曲がりながら石段下に至るという細道でした。

次回は、その道筋をご紹介いたしましょう。






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Posted by 迷道院高崎 at 11:11
Comments(6)観音山遠足
この記事へのコメント
昭和9年の演習は根小屋から山名にかけての範囲で行われていたと思っていましたが(山名に天皇御野立所跡の碑があるので)兵営の対岸でも行われていたんですね。
このイベントの関係者だった私の曽祖父が表彰状と木杯を貰いました(木杯は現在行方不明ですが・・・)。
Posted by 大音龍太郎  at 2014年11月23日 22:20
>大音龍太郎様

木杯、行方不明とは残念ですねー。
お宝ですから、分からないところに隠してあるんでしょうか(^.^)

乗附練兵場では、大々的な観兵式が行われたようですね。
「髙﨑市記録」を見ると、髙﨑駅から兵営までの道筋に、どの町内の市民がどこでお迎えするかまで、こと細かく動員計画が練られています。

命がけの大演習だったんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年11月24日 12:50
信州小布施町で「日本のあかり博物館」を見学したことがありますが、高崎の「あかりの資料館」は、まだ訪れたことがありません。
会社の敷地内にあるとは知りませんでした。
電灯がなかった時代の灯りに興味があるので、ぜひ行ってみたいと思います。
Posted by 風子風子  at 2014年11月30日 10:17
>風子さん

あ、小布施にもあるんでしたっけ。
知りませんでした。

高崎の「あかりの資料館」は、ぜったいお奨めですよ。
あれ全部個人で集めたなんて、ほんとびっくりですよ。
また館長さんが気さくでいい人なんです。
ぜひ、おでかけください!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年11月30日 12:31
こんばんは。コメントが遅れました。整列位置要図は部隊略号がアルファベット表記で興味深いです。歩兵第15連隊は歩兵第50連隊(松本)と共に歩兵第28旅団を編成し、演習部隊西軍に属しているのが読み取れます。

玉村の五料橋の辺りにも大演習の記念碑が建っているのを見た事があります。群馬のあちこちに戦車が走り回って勇壮だったのでしょうね。
Posted by SAC  at 2014年12月12日 20:58
>SACさん

さすがプロですね!
図から、そういうところまで読み取れるんですか。

これが旧陸軍最後の特別大演習だったんでしょうか。
演習だけで済ませたいところだったですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年12月13日 07:09
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