2014年07月13日

嬉しいような・・・話

前回に続いて、「おー、ついに始めてくれましたか!」
という新聞記事を。


このブログでも、しょっちゅうという感じで「史跡に説明看板を立てろ!」と叫んでいた訳ですが、やっとその気になって頂けたようです。(すみません、上から目線で・・・)

実は高崎でも、昔、立てたことがあるんですが、現在こんな状態になっちゃってます。
高崎市の、観光に対する取り組み姿勢の乏しさを悲しく思っていただけに、今回の取り組みはとても嬉しく思いました。

ただ、記事によると、「町内会に看板を立てる候補地を挙げてもらう。」という、これがちょっと心配ではあります。
例えば、「高崎城本丸跡」とか「高崎城天守閣(三層櫓)跡」などは、どこの町内会が挙げてくるのでしょうか。
町内から挙がってくるのを待つだけでなく、まずは高崎市の観光課や文化財保護課などが自ら率先してリストアップすべきだと思います。
そして、各町内にはそこに漏れている知られざる地元の史跡を挙げてもらう方がよいのではないでしょうか。

すでに「町の歴史勉強会」というのが活動している町内もありますが、そうでない町内も多いと思われます。
これを機会に、「町の歴史勉強会」が各町内で起ち上がるようになってくれたら、嬉しいですね。

しかしまぁ、わが高崎もやっと観光に力を入れてくれるようになったと喜んでいたら、こんな記事が。


先日も、下斉田田口一也さんと話していたばっかりなんです。
「富岡製糸場」が世界遺産になったことで、「横須賀製鉄所」との関係から小栗上野介が脚光を浴びることになるかも知れませんね、と。
ということで、この記事そのものは嬉しかったんですが・・・。

小栗上野介終焉の地・権田村をもつわが高崎市は、この2市のお仲間に入るつもりはないのでしょうか。
市長のお名前も「富岡」さんなんですから、大いにご縁がある訳ですし、話題性もあると思うのですが・・・。

せっかく「観光戦略の練り直しを急いでいる」んですから、どんなチャンスも逃さず捉まえて観光に活かすという、貪欲な高崎市になってほしいものです。




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この記事へのコメント
僕らはいつ生まれてどんな時代を生きてきたのでしょうか?
父母世代の、赤子と言われ徴兵され、大空襲を逃げ惑った世代、それおを思うといささか諦念を失します。そんな僕らが祖父祖母世代になってしまった今の時代、それこそ正しく、「根無し草」の浮世世代ではないでしょうか。
少なくとも僕らはじき終わる、しかしこのまま終わってしまったら、僕らの父母世代が僕らをどんな思いで産み、育ててきてくれたのか、このいあわゆる敗戦後70年という時間を消し去ってしまうような気がしてならない。同窓会でのあの恩師の言葉にはいささか落胆しました。どなたも、あの石原先生も詞を遺さなかった。自分が「何をしたか」という、それだけ・・・・・
僕は、徳武先生にも山木先生にも、その意味は畏怖の感情を抱いていました。
それは、そのそよ先生方が時代の証言者として、あの昭和36年当時、今思うと、この国がどういう形になっていくのか、それを教えてくれているような気がした・・・・・
そう「気がした」期待した。しかし残念ながら人間の本来がそれなのかもしれないが、人より自分。数年前の諸先生方、お亡くなりになった先生方もおられますけど、それを思うと、お亡くなりになった先生方の方が、何かを教えてくれている。
世界遺産「富岡製糸場」は未だ理解不能です(笑)。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2014年07月14日 02:44
たしかに史跡にある説明板は、読めないような状態のものが多いですね。
新聞記事にある、高札風デザインの案内板もいいなぁと思います。
観光連携もおおいに進めて欲しいものです。
Posted by 風子風子  at 2014年07月14日 05:35
>昭和24歳さん

世界遺産に浮かれてる場合じゃないですかね。
人間は、強烈な体験しか憶えてられません。
せいぜい、強烈な体験をした人からの話を直接聞ける世代まででしょう、記憶が持続するのは。
その後の世代は、自ら体験するしかないのでしょうね、悲しいですけど。

石原先生の「富岡製糸場は平和遺産でもある。」という話は、例え話としては面白く聞きましたけどね(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年07月14日 14:28
>風子さん

風子さんのブログをみると、安中は史跡看板がよく整備されてると思いますよ。
遅ればせながら、高崎がどんな風になるか楽しみです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年07月14日 14:30
全く迷道院さんの言う通り町内会推薦と云うのがキモですね、当局に占拠されている高松町には町内会など無いのですから。
ここ70年の市政を見ていると高崎市は本気で近世の高崎を完全に隠滅したいと考えているのではないかと思う私は捻くれているのでしょうか。
かつて日本中の街を廻りましたが何処も深い歴史を持つ町は市街地に郷土資料館なり歴史建築物の公開なりその場所の由来の看板などがありました、しかし高崎市旧市街にはそういったものがまったく無く、近代以降に造られた新興都市のようなのっぺらぼうな町に見えます。
関東地方で最も近世城郭の復元に意欲を見せている小田原市は市政20周年で天守を復興しましたが、高崎市は市政110年を過ぎてやっと市民に推薦してもらうという消極的姿勢で説明看板を設置するという事を始めた訳ですが、これからは高崎市には誠実に郷土の歴史に向き合ってほしいものですね。

安中城周辺の看板は木造であったため現在は殆ど判読不能なのが残念です。新潟の一ノ木戸陣屋跡の説明版は新しくQRコードも添付されていました。
Posted by 大音龍太郎  at 2014年07月15日 23:51
高崎市の史跡に説明看板がなっかたとは、
知りませんでした。
伊勢崎市では、平成の大合併の前から
町村単位で工夫して看板がありました。
当然な事と思っておりました。
その前に、長野県は松本城などは
国宝として有名ですね、それに
街並みや、湧水なども綺麗に整備されていて
観光客も、市民も利用していますし、また、
いつ行っても人がたえる事が無く
普段の生活に溶け込んでいますし
商業用看板も、美観を損なわないように
工夫されていますね。
Posted by wasada49  at 2014年07月16日 06:05
>大音龍太郎さん

いやまったく、仰せの通りで。
「高崎市歴史博物館」は、観光都市を考えるなら必須の施設のはずです。
予算がなければ、市庁舎21階のホールを使えばいいんです。

2世代前の市長さんは、郷土の歴史に目が向いていましたし、郷土史家も若かったですし、市や観光協会の職員の中にも、郷土史の本が出せるほどの人材がいたんですが・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年07月16日 08:22
>wasada49さん

伊勢崎など東毛の市町村は、郷土史を大切にしていますね。
それが世界遺産登録にもつながっている訳で、羨ましい限りです。

松本市はいいですよねぇ。
私の好きな町の一つです。
その松本市でさえ、旧町名を復活させようとして未だに出来ていません。
その代わりに、旧町名とその由来を刻んだ石柱が、町中に建てられています。

高崎市は、今も城下町時代の町名と町割りがそのまま残っているのですから、歴史の町として整備するのはそう難しいことではないはずなのですが・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年07月16日 08:30
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