2014年06月29日

例幣使街道 寄道散歩(15)

「阿弥陀堂」を出て西へ60mほど行ったところに、名主・田口十七蔵邸があります。

小栗又一の首級を、権田村まで引き取りに行ったという名主の家です。

行ってみました。

すごい長屋門に圧倒されます。
この長屋門は、高崎市都市景観賞を受賞していますが、その選考理由を見ると、

「昭和13年に築造された、両側に住居や作業小屋等の長屋を備えた長屋門であって、けやきの一枚板を使った豪華な門扉を持った重厚な建物である。戦国時代の下斎田城の本郭に位置し、屋敷の周囲に濠が回されている。また、小栗上野介が支配した知行所の名主としての歴史的背景も、景観を印象づける一翼を担っている。」
とあります。



前掲の図を見ると、「鎌倉時代の環濠館」とありますが、その環濠が今もその形跡を保っているのは、すごいことです。

環濠沿いにぐるっと回って南側の土居上を見ると、まだ真新しい感じの石碑が建っています。

なになに?
「観音堂新築記念碑」とあるじゃありませんか!

おー、ここに「観音堂」「阿弥陀堂」の由来が書いてあるじゃないですか。

田口氏の祖先は、例の安達藤九郎盛長の家臣・斉田氏で、室町時代の田口兵庫という人が「観音堂」「阿弥陀堂」を建立したと書いてあります。

南から西にかけての環濠は、大きな石組みが築かれています。

と、石垣の上に人影が・・・。
目が合い、人様の土地に入り込んだ後ろめたさもあって、思わず「こんにちは!」と挨拶をしました。

そんな私を咎めるでもなく、「どちらから?」と気さくな声にホッとして、「○○から来ました。今、例幣使街道を歩いていて、小栗又一が最初に埋葬された観音堂のことが、そこの碑に書いてあるのを見つけて・・・。」と、言い訳タラタラです。

すると、「あ、それ私が建てたんですよ。」と仰います。
「え?じゃ、田口家のご主人ですか?」
「そうです。」

ということで、思いも掛けず名主・田口十七蔵のご子孫にお目に掛かるという幸運に恵まれてしまいました。

碑の撰文をされたご当主・田口一之さんはとても気さくな方で、下斉田の歴史、田口家の歴史、「観音堂」「阿弥陀堂」の歴史など、いろいろ教えて頂きました。

次回、ご紹介いたしましょう。





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この記事へのコメント
長屋門、素晴らしいですね!
旧家訪問などのTV番組で立派なお宅の内部を見ることがありますが、実際に住んでいる方の維持・管理・保存はどんなに大変なことだろうかと、そのご苦労を考えずにはいられません。
環濠の跡が残っているというのも凄いです。
名主さんのご子息にも遭遇できて、よかったですね^^。
Posted by 風子風子  at 2014年07月03日 08:36
>風子さん

いや本当に、これだけのお屋敷を維持していくのは大変だと思いました。
ご当主の強い思いがあればこそですね。

高崎も、いいものといい人がまだまだ残ってますよ!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年07月03日 20:14
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    コメント(2)