2014年05月18日

例幣使街道 寄道散歩(10)

円福寺山門から南へ150mほど行くと、すごい竹林が見えてきます。

竹林を過ぎて左に折れると、立派なお屋敷があります。↓



竹林は、このお宅のものだったんですね。

お屋敷の周りにはぐるっと堀が廻っていて、いわゆる環濠屋敷です。

後で調べてみたら、代々八幡原村の名主を務める原田家のお屋敷で、これから行く「若宮八幡」の宮守をずっとしていて、「お八幡(はちまん)」と呼ばれる由緒あるお宅でした。

「お八幡」の近くにも大きな家が沢山あり、昔の村の様子を想像することができます。




蔵の水路に面した扉から張り出したステップは、どんな使われ方をしたのか興味津々です。

さらに南へ200mほど行くと八幡原の集落を抜け、前方にこんもりした森が見えてきます。

あの森が「若宮八幡」のある所かなと思い、行ってみました。



来てみたら、厳重な柵に囲まれていて中に入ることはできません。
どうやら、ここではなかったようです。

集落に戻って、農作業中のご婦人に伺うと、
「あぁ、八幡原の八幡様かい。その道ぃ、真っ直ぐ行った突き当りだよ。」と言います。
「あの森のもっと先ですか?」と聞くと、
「そうそう、うん、すぐだよ、わきゃねえよ。」
ということなので、再び歩き始めました。

「わきゃねえ。」と言われましたが、延々と柵が続いていて、なっから先みたいですけど?






群馬県警本部が「火気厳禁・立入禁止」にしている柵の内側は、旧陸軍の火薬庫跡です。

玉村岩鼻を結ぶ道を横切った先に見える森が、どうやら「若宮八幡」のようです。

「わきゃねえよ。」と言われたところから、700mでした。
たしかに、大した距離じゃありません・・・。

石柱にはただ「八幡宮」とのみ刻まれ、意外とこじんまりしています。






素朴ながら立派な神楽殿があります。

社殿も素朴で、いかにも村の鎮守様という佇まいです。







ところが中を覗いてみると、格子天井には色こそ褪せていますが、素敵な天井絵が描かれていました。

明治十六年(1883)発行「上野国群馬郡村誌」八幡原村の項には、「往古ヨリ村内ニ八幡ノ社アルヲ以テ村名之ヨリ起ルト云フ」と書かれていますので、小さいながら、村名の由来となる由緒ある社なんです。
次回は、その由緒について少し詳しくご紹介いたします。


【「お八幡」原田家】


【八幡原の若宮八幡】






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この記事へのコメント
何気ない風景でも、迷道院さんの調査でいろいろなことがわかって、楽しいですね。
八幡宮の鳥居や社殿が朱色に塗られているところを見ると、地元の氏子さんたちが清掃や手入れをして、大切に守られていることがわかります。
いずこも同じですが、氏子さんたちが高齢になっていて、後継者がいるのかどうかが、とても気がかりです。
Posted by 風子風子  at 2014年05月27日 20:44
>風子さん

そうですね。
若宮神社の太々神楽も、やはり後継者の問題はあるようです。
時代の流れと言えばそれまでですが、そういう伝統文化が継承されるような、ゆとりある社会であってほしいものです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年05月28日 19:40
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