2014年05月08日

例幣使街道 寄道散歩(9)

旧例幣使街道から新例幣使街道に出たところに、「八幡山圓福寺 この先」の看板が立っています。

「圓福寺」はもと「圓光寺」という名前だったそうですが、むかし八幡原にあった「長福寺」というお寺の「福」の一字を取って、「圓福寺」にしたといいます。

前回の記事にも書きましたが、廃寺になった「長福寺」は、源頼朝が東征に赴く際に八幡原で病に倒れ、そのとき身体を休ませたと伝わるお寺です。

新旧例幣使街道の合流点から、南へ320mほど行くと「圓福寺」の山門です。

「圓福寺」の山号は「八幡山」ですが、院号は「頼朝院」となっていて、先の伝承に因んでいることが分かります。

広い境内と墓地の奥に、小高い塚があります。

これも、もしかすると古墳なのかも知れません。




塚に上る石段の両脇には、沢山の石仏や石祠が並んでいます。




そういえば、墓地入り口の造成記念碑の傍らにも、沢山の石仏が並んでいましたが、無縁仏の脇仏ででもあったのでしょうか。

塚上には、最近建て直したものらしい、きれいな観音堂があります。




墓地を辞して本堂に一礼し山門を出ると、駐車場の一角に何か石碑が建っているのが目に入りました。

「八幡原 稚蚕共同飼育所跡」と刻んであります。

碑文によると、この「稚蚕共同飼育所」は昭和四十一年(1966)設立で昭和六十一年(1986)閉鎖になるまで、養蚕の近代化に寄与したとあります。

上毛新聞社の「シルクカントリー群馬」に、その詳しい記事が載っていました。
  ◇「養蚕の近代化後世に
       高崎・八幡原 稚蚕飼育所跡に記念碑」

ここも、「高崎の絹遺跡」だったのですね・・・。

さて次回は、造立によって頼朝の病気を平癒させたという、「若宮八幡宮」まで足を延ばしてみましょう。


【圓福寺】






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この記事へのコメント
安中でも、小高い丘は古墳だった所が多いです。
普段気がつかなかったり、忘れられている場所が
実は、養蚕に深くかかわっていた絹遺産だった
ことを
ブログに残して頂けるのは、ありがたいです^^。
Posted by 風子風子  at 2014年05月09日 08:27
>風子さん

絹遺産群の中に高崎が入ってないのが、何とも残念で・・・。
でも、もうすぐ新町の屑糸紡績所が仲間入りできるらしいので、少しは溜飲を下げることができそうですが(^_^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年05月09日 08:42
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