2009年02月06日

知られざる「観音山振興プラン」

昭和55年(1980年)に、高崎観光協会が発行した「高崎市観音山観光診断に基づく提案レポート」というのがある。

どのくらいの人の目に触れたか分からないが、結構いいところを突いたレポートなのである。
このレポートで提案されていることを、もしも真面目に推進していたならば、今と全く異なる観光地になっていたのではないかと思われる。
また、このレポートで提案されていることは、高崎市全体の都市計画としても、実に多くの示唆を含んでいる。

何回かに分けて、その内容をご紹介しようと思う。

このレポートのために、商業文化研究所に「観光診断」を依頼した人物は、(社)高崎観光協会会長の沼賀健次氏である。

おそらく、昭和46年から62年まで高崎市長を務めた沼賀健次氏が会長を兼務していたのであろう。
豪放磊落な市長として、有名であった。

「観光診断」は、昭和54年8月から5ヶ月間にわたって、調査・分析が行われている。
その報告書は80頁にも及ぶもので、大量かつ多方面にわたるデータをもとに、29年後の現在においても新鮮で、奥の深い提案がされている。

今日は、レポートのまとめとなる部分から、共感するところを抜き出してみた。

----------------------------
「観光開発の基本はここにある」

地域が「観光」について論する場合、決して忘れてはならぬ課題があるので、それを述べておきたい。

それは、世界的にみても日本においても、優れた「観光地」というのは、自然が美しいとか、施設が良いということだけではない、ということなのである。

もちろん、これらも大切な問題には違いないが、しかし、自然は決して地域住民や企業努力、行政努力によってつくられたものではなく、敢えて言うならば天からの恵みである。
また、施設も良いものにこしたことはないが、これは「物」でしかない。

人々が「観光」に求めているものは、そうした天の恵みや人工的ハードウェアではなく、
 ・未知の人々とのふれあいであり
 ・そのふれあいをベースにした、様々な体験であり
 ・新たな体験を通して得られる感動

であると思う。

見かけだけの豪華さ、美しい自然とは似ても似付かぬスレッカラシのサービス、全国どこ行っても同じありふれた土産品や料理、先進地に学ぶと言えば聞こえは良いが、そのまま引き写したようなイミテーション施設etc・・・これでは感動どころか、訪れて腹立たしさを感じざるを得まい。

高崎は歴史的にも古く、近世江戸時代も有名な都市であり、それだけに、
この伝統文化をベースにさらに高揚し発展させ、ときには、
近代化という名の俗悪化によって見失われた伝統を再発掘し、
わが故郷の素晴らしさを、訪れる人々に誇りをもって堂々と示し、体験させる。

この努力を行うべきであると考える。

----------------------------

いかがであろうか。29年前の提案である。
今現在、目にする高崎の町の様子は、まるで反対の動きをしているように見える。

次回以降、レポートの具体的な提案をご紹介していくこととする。


同じカテゴリー(観音山)の記事画像
駅から遠足 観音山(72)
駅から遠足 観音山(71)
駅から遠足 観音山(70)
駅から遠足 観音山(69)
高野山へ行ってきました(2)
高野山へ行ってきました(1)
同じカテゴリー(観音山)の記事
 駅から遠足 観音山(72) (2016-05-08 06:55)
 駅から遠足 観音山(71) (2016-05-01 07:11)
 駅から遠足 観音山(70) (2016-04-24 07:23)
 駅から遠足 観音山(69) (2016-04-17 07:17)
 高野山へ行ってきました(2) (2016-04-10 07:05)
 高野山へ行ってきました(1) (2016-04-03 07:10)

Posted by 迷道院高崎 at 10:42
Comments(12)観音山
この記事へのコメント
私達も観光に何を求めていたのか、漠然としていたものが、レポートのお陰ではっきりした。

次回楽しみにしてます(^O^)。
Posted by mitukuni  at 2009年02月06日 13:49
>mitukuniさん

「観光」って、市にとっても、市民にとっても絶対重要な収入源だと思いますよ。

大事に育てたい産業ですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年02月06日 19:02
29年前にこんなレポートがあったのですね。
確かにレポートと正反対のことを市はしていますよね。
沼賀健次氏と松浦幸雄氏は仲が悪かったのですかね。
しっかりと勉強させていただきます。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年02月06日 19:10
まあ、高商の先輩後輩が沼賀先生と松浦センセイ。
沼賀先生の方は高商時代甲子園に行ったとか行かなかったとかで、明大を卒業後東大に入りなおしたとかの奇特な先生です。
民社党から衆議院議員に立候補され見事落選!!まあ、その意味では本物の掛け値なしの“先生”でしたね。
でも、「おれは婿だ」をよく聞きました(笑)。京目の反町家から八幡の沼賀家へ入り婿でした。
折しも「福中戦争」とか言われた当時の群馬三区で、沼賀先生の音頭取りで時の福田センセイと中曽根センセイが、固い握手で腹の内を探りあっていた光景が忘れられません。
沼賀先生、未成年の僕らに「酒くらい飲めなくちゃだめだ」と「ここだけだぞ」と、飲酒で絞られた僕らを励ましてくれました。
それを思うと、僕はすごい体験をしているのだなあと・・・・・
思い出しています。思い出させてくれてありがとうございました。
ずっと忘れてました(笑)。
そうです、不埒にも先生の高崎市長選の時僕は敵陣のカバン持ちでした。僕が22の時です。周りからはいろいろ言われましたけど、なぜかそうなっちまったのです(笑)。
結局、沼賀先生が勝ちましたけどね・・・・
というより、僕のセンセイの方は三つ巴の戦いから途中で降りました。
多分福中双方とも割れるからだったと思います。で、沼賀健治vs吉井栄太郎の一騎打ちでしたけど、ご案内の通りの結果でした。
昭和46年の暑い夏の出来事でした・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年02月06日 19:50
>弥乃助さん

図書館でこのレポート見つけた時は、へー!って思っちゃいましたよ。

首長が変わるということは、こういうことなんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年02月06日 19:55
そうそう、沼賀先生引退を受けての市長選は実に汚い選挙だっと記憶しています。
高商票を奪うべく松浦陣営は敵陣、確か当時建設部長を退職しての某氏との中傷合戦でした。
まあ、沼賀先生としては部下の立候補と後輩の立候補では中立にならざるを得なかったでしょう。
その意味では、松浦センセイは高商票を全幅に受けてのものではありませんでした。
結果、松浦センセイが勝利されたのですがご案内の6期目です。欲以外の何物でもありませんね。都合24年もその地位にいたら周りも腐りきっていることでしょう。つまり大統領職です。そういう権力が長期では腐らなかった験しがない!!定説です(笑)。
きっと、次期も周りが創るんでしょうね、予算の分捕り合戦のために。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年02月06日 20:00
>昭和24歳さん

そうかー、恩師だったんですね。
けっこう武勇伝が残ってますよね。
市長室にいつも酒が置いてあって、来た人に飲ませてたって言いますけど、たぶん、自分用だったんでしょうね。

学生時代、馬に乗って通ってたって聞きましたよ。
カッコイイですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年02月06日 20:03
そういえば沼賀さんのお墓って八幡霊園にあったような・・・。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年02月06日 20:18
>昭和24歳さん

ウラ話、詳しいですね~!
昭和24歳さんって、いったい何者なんでしょう?
これからも、面白い話たくさん聞かせてくださいね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年02月07日 10:38
>弥乃助さん

沼賀さんのお墓、そうだったんですか。
おかげさまで、知らないことをたくさん教えて頂けます。

ありがとうございます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年02月07日 10:39
沼賀健次さんのことを調べていたら
たまたま ここに行き着きました。

ご無沙汰しています。

素晴らしいですね。
いやあ。その通りです。

本当に。
Posted by 高井俊一郎  at 2013年06月08日 07:38
>高井俊一郎様

ご無沙汰です。
コメント、ありがとうございました。

高井様の高崎への思いが伝わってくるコメントですね。
高崎周辺の各市も、それぞれ仮説を立てて活性化に取り組んでいますが、どの仮説が正しかったのかが判明するのは10年後、20年後、もっとかな?

高井様の、コンベンション施設に関する議会での質疑、注目していました。
これからも高崎のこと、よろしくお願いしますね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年06月08日 15:03
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
知られざる「観音山振興プラン」
    コメント(12)