高崎市柴崎町の進雄神社(すさのおじんじゃ)、初詣にお見えになった方も多いのではないでしょうか。
昔はこの田んぼの中を左上から右下にかけて、小川が流れていたそうです。
その水で淹れたお茶はとても美味しかったので、「茶堀」と呼ばれていたとか。
団地の造成によって「茶堀」は姿を消したそうですが、ここに写っている田んぼもいつまで残っているか。
進雄神社の社殿右手、お稲荷さんの鳥居の右側にこんなのが建っています。
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「土視垣安命?」
「・・・なんじゃこれ?」
調べてみました。
点が付いてますが、「土」の異体字だそうです。 「新書源」(二玄社) | ||
「視」だと思ったんですが、「祖」の篆書体だそうです。 「篆刻字体」(三圭社) | ||
「垣」にしか見えませんが、「埴」の異体字だそうです。 棒が一本足りませんが・・・。 「新書源」(二玄社) |
ということで、「土祖埴安命」ということになりますが、それでも読み方が分かりません。
こんな時、インターネットというのは便利ものです。
「埴安」で検索すると、「ハニヤス」「埴安神」「埴安姫」「埴安彦」などたくさん出てきました。
いろいろな書き方をしてますが、どうやら、「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」の間に生まれた神様のようです。
この神様は、それはそれは壮絶な産まれ方をします。
「イザナミノミコト」は、淡路島・隠岐島を始めとする日本列島、さらには森羅万象の神々をたくさん産みますが、最後に火の神「カグツチ」を産んだために女陰(ほと)に大火傷を負い、苦しみながら亡くなってしまいます。
その死の間際、苦しむ「イザナミノミコト」の大便から化成した神が、「埴安命」(ハニヤスノミコト)なのです。
「ハニ」は「埴輪」(はにわ)の「埴」で、「赤土の粘土」のことだそうです。
そう言われれば、死ぬ間際の大便を連想させるかもしれません。
また「ハニヤス」は、「土を練って柔らかくする」ことだそうで、このことから「埴安命」は農業や陶業の「土の祖神」とされる訳です。
「土祖埴安命」碑の裏面には、「安政六年(1859)己未(つちのとひつじ) 當所講中」と刻まれています。
土地の農民たちが金を出し合って、土の神様に五穀豊穣を祈願するために建てたものなのでしょう。
進雄神社にお出掛けの節は、ぜひご覧ください。
【進雄神社 土祖埴安命碑】