2009年01月25日

ぼうず山

高松町にある高崎郵便局北側の堀は、他の場所のお濠と違って、水が湛えられていない。

以前は深くて暗い谷だったが、近年、写真のように整備され、土塁の上や、下の渓谷風の遊歩道を散策できるようになっている。

整備したての頃は蛍もいたりして、旧建設省の「ふるさと手づくり郷土賞」を受賞している。

この道を真っ直ぐ下り、中央小学校の裏門の所を左に曲がったあたりに、昔「ぼうず山」と呼ばれる小山があったらしい。
明治41年(1908年)生まれの父が、「子どもの頃、ぼうず山でよく遊んだ。」と言っていた。

ずっと忘れていたのだが、このブログを書くようになってから、ふと思い出し、調べてみることにした。

「ぼうず山」は、高崎城「角馬出し(かくうまだし)」の土塁跡だという。

「角馬出し」とは聞きなれない言葉であるが、城郭の守備堅固な出入り口だそうだ。
城が敵に攻撃された時、城の門は全て閉ざして守りを堅くすることになる。
だが、形勢を見て城外に撃って出ようとした場合、うっかり郭門(くるわもん)を開けてしまうと、そこから弓や鉄砲を撃ち込まれ、一気に敵が城内に入ってきてしまう。
そこで、城外への出撃の際は、守りに固い「馬出し」から出撃することになる。
「馬出し」の構造の特徴は、
1.外から城内を見通せないように、入り組んだ構造になっている。
2.「馬出し」内の通路は、一度に大勢が通れないように狭くなっている。

そのことにより、敵が城内に攻め入ろうとしても、狭い入口を直角に曲がりながら、1列になって入らざるを得ない。
守る城側は、侵入した敵の横腹から、一人づつ攻撃することができる。
という訳だ。

「馬出し」には、土塁の囲み形状から「丸馬出し」「角馬出し」とがある。

子どもたちの絶好の遊び場だった「ぼうず山」も、戦後、跡形もなく整地され、家が立ち並ぶ詰らない場所になってしまった。

近代の城郭で、「馬出し」が完全な形で残っているのは、兵庫県にある篠山城だけだそうである。
高崎城「角馬出し」は形状的にも美しく、もし残っていたらその価値は計り知れない。
   あぁ、勿体ないことをしたものだ。

もう見ることはできないと思っていた「ぼうず山」が、かろうじて写っている写真を見つけた。

中央小学校長も務めたことのある、郷土史家:田島武夫氏編著「ふるさとの想い出写真集 高崎」(国書刊行会出版)から複写させて頂いた。

(参考図書:「高崎漫歩」「開化高崎扣帖」「高崎城絵図」)




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この記事へのコメント
僕は一年生の時まで兵舎跡の二中でしたので、そのあたりのことは今でもよく覚えています。
定かではないのですがそのあたりには栗本牛乳の工場だったか、思い込みかも知れませんが牧場とかも。
その坂下一帯、中央小の南側は湿地帯でその向こうにはたしか醤油工場(岡醤油)で、東小から中央小へ転校していった小田君の家に行くとかなり臭かったことを憶えています。
専売公社の社宅もあったりしたような・・・・・

いやあ、毎度、わくわくしながら拝見させて頂いてます。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年01月25日 13:31
>昭和24歳さん

ほー、ご記憶にありますか。
そうですね、栗本牛乳と牧場もありましたね。

小学校の給食は脱脂粉乳でしたが、途中から栗本牛乳の瓶入り牛乳に変わりました。

醤油工場も覚えてますか。
よく、国道の上から醸造池に石を放り込んで逃げました。
あの、ドボッ!ていう音と感触が堪らずに。
とんでもない悪ガキですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月25日 17:44
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    コメント(2)