2013年09月15日

高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(4)

中村茂先生の「高崎の資料にみる庄川杢左衛門」から、要点をご紹介いたします。

先生は、高崎藩の「御家中分限帳」の中に「御鉄炮徒 正川銀右衛門」の名を見い出します。
「正」「庄」の文字の違いはありますが、昔は音が同じなら異なる字を書くことはよくあることのようです。
「御鉄炮徒(士)」(おてっぽうかち)というのは下級に属する士分で、八石二人扶持という低禄だそうです。
この資料の年次は不詳ですが、他の資料との関係から元禄十五年(1702)と比定しており、高崎藩庄川家初代の人物であろうと推定しています。

次に、寛政四年(1792)の「大円院様御代指物絵形順序」という資料に、「城番 庄川杢左衛門」の名があります。
その杢左衛門には前髪があるとなっているので、元服前(15~18歳)であろうということですが、家督は相続していたと解釈できるそうです。
銚子高神村加瀬家の過去帳には、杢左衛門倅・庄川銀助は寛政三年(1791)三月に17歳で死去したという記録があります。
父・杢左衛門は寛政二年(1790)九月三十日に没していますので、家督相続の認可には時間がかかることを考えると、「倅・庄川銀助」「城番・庄川杢左衛門」とは別人で、銀助の弟かあるいは他家からの養子ではないかというのが、中村先生の見立てです。

さらに下って享和三年(1803)のものと比定される「高崎家中附覚帳」には、「御城番 高五十石 庄川杢左衛門」の名前が出てきます。
さらに、「公私用禄留帳」の文化四年(1807)の記録にも、「庄川杢左衛門」の名が出てきます。

もうひとつ、文化十年(1813)の「分限帳」の城番18名の中に、「天休院様江被召出五代 実渡辺郡平 一高五拾石 庄川銀助」とあります。
中村先生によりますと、庄川家は天休院(輝貞)以来五代にわたって高崎藩に仕えており、この「庄川銀助」渡辺郡平家からの養子であることが分かるということです。

これらのことを年表式に並べてみると、次のようになります。

・1702 八石二人扶持 正川銀右衛門
・1790 銚子代官庄川杢左衛門 没 57歳
・1791 杢左衛門倅庄川銀助 没 17歳
・1792 城番庄川杢左衛門 15~18歳
・1803 五十石庄川杢左衛門
・1807 庄川杢左衛門
・1813 城番 五十石庄川銀助 養子

ここから分かることは、銚子代官・庄川杢左衛門没後、少なくとも家督は二代にわたって継承されているということです。

では、中村先生の所見をご紹介いたします。

言えることは、庄川家は文化年間まで存在したことが確実なことである。
もし罪を得て切腹したのであれば、御家断絶または家格を落とされるが、その形跡は見られない。
「高五拾石御城番」の家柄であったことは資料にある通りである。銚子代官としても妥当な家柄である。
代官庄川杢左衛門が没した後も、庄川家は高崎藩士として存続していたのである。」

ということで、「銚子代官・庄川杢左衛門が切腹したということは考えにくい。」というお考えです。

次回は、他の郷土史家の方のご意見をご紹介します。





同じカテゴリー(高崎藩銚子領)の記事画像
高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(7)
高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(3)
高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(2)
高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(1)
高崎藩銚子陣屋跡
銚子・高崎・英学校(3)
同じカテゴリー(高崎藩銚子領)の記事
 高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(8) (2013-10-30 09:28)
 高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(7) (2013-10-13 08:59)
 高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(6) (2013-10-06 06:59)
 高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(5) (2013-09-22 08:54)
 高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(3) (2013-09-08 11:22)
 高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(2) (2013-09-01 08:40)

Posted by 迷道院高崎 at 06:25
Comments(2)高崎藩銚子領
この記事へのコメント
庄川杢左衛門さんの名前から、銚子陣屋のじょうかんよ様を探っていかれたのですね。箇条書きにしていただいたので、わかりやすいです。
旧家では今でも名前の世襲があるようですね。
中村先生の所見も納得いたしました。

日頃、古文書で、音が同じでも違う文字が使われていて悩むことが度々ありますが、昔の人は割とそういうところは大らかだったようですね^^。
Posted by 風子風子  at 2013年09月15日 09:46
>風子さん

古文書はそうですよね。
変体仮名なんて、勘弁してくれって感じです。

風子さんが、杢左衛門さんは病死であって欲しいというご希望でしたので、ご安心頂こうと思いまして、中村先生のご所見を真っ先にご紹介いたしました(^_^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年09月15日 19:39
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
高崎藩銚子陣屋のじょうかんよ(4)
    コメント(2)