2009年01月17日

高崎の「隠れキリシタン」

しだれ桜で有名な、下滝町慈眼寺「隠れキリシタンの墓」があるのをご存知だろうか?

日本に初めて「キリスト教」を伝えたのは、1549年ポルトガルのフランシスコ・ザビエルだという。

ザビエルは鹿児島に滞在中の80日間、日本人を観察し、ローマ法王にこんな報告をしている。
(和辻哲郎著「鎖国」より)

日本は今まで会って来た異教徒の中で一番すぐれている。
一般に善良で名誉を重んじる。
生活は、一般に貧しいが、貧しさを恥としない。
貧しい武士に対して、豊かな商人達が尊敬の態度をとっている。
武士は、いくら貧しくても、決して富める商人の娘とは結婚しない。(略)
また日本人は一般に善良で盗みを憎む。
罪悪が少なく、道理が支配する国である。(略)」

今の日本人が聞くと、気恥ずかしい思いがする。

だが、ザビエル来日47年後の1596年、豊臣秀吉は「キリシタン」の迫害を始める。
その後の徳川政権でも、迫害は続いた。
驚くべきは、明治になってからもなお「キリシタン」弾圧が強化・行われていたという事実である。
明治元年12月から始められた「配流」で、「キリシタン」達は九州から中国・四国・近畿の各地へ船と徒歩で強制移動させられた。
この迫害は、諸外国から「キリスト教徒を迫害するような野蛮な国とは、条約は結べない。」と拒まれる明治6年まで続くことになる。

それでも、ザビエルが来日してからの60年で、日本人「キリシタン」は30万人を超えたという。
九州・中国地方の信者は「隠れキリシタン」となって信仰を続け、迫害を逃れて関東・東北まで流れてきた。
キリシタン研究家の神原和荘氏によれば、「隠れキリシタン」が日本で一番多いのは群馬県らしい。

脚本家の田中澄江さんが、「群馬の隠れキリシタン」という本を出している。
読んでみると、日本の「キリシタン」迫害に至る要因が、いくつか出てくる。
1.旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)との、勢力拡大競争。
2.キリスト教の布教拡大を利用した、諸外国の貿易利権争奪競争。
3.自国の領土を奪われるのではないかという、猜疑心と恐怖。


これらの要因は、いまだに生き続け、地球上で様々な差別紛争を生みだしている。

春になると、「慈眼寺」には美しい「しだれ桜」が、人々の心を癒してくれる。

「宗教」とは、本来、人々を幸せにするはずのもの。
「宗教」によって人々が悲しむことのないように、地球上の一人ひとりが考えなければなるまい。





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この記事へのコメント
鰯の頭も信心!!

これ、農耕民族の知恵・・・・・

宗教では争えない。

神様仏様の共存共栄が和らぎの礎。

水回りの神、竃の神、御不浄の神・・・・・

まあ、八百万の神。

呉越同舟かは知りませんが、“七福神”それでもニコニコ和んでいます。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年01月17日 14:18
慈眼寺ですか。
最近、行っていないなぁ~。

慈眼寺は過去3回ぐらい火事になりましたが、本堂の横にある古いお堂は燃えませんでした。
それは本堂と古いお堂の間にある木が守ってくれたからなんだそうな・・・。

ちなみに大きな納骨堂の石工事、これもおいらが施工しました。
またまた自慢してすみません・・・。

それにしても宗教って大事ですよ。
宗教心が無いから最近変な事件が起こっているのだとおいらは思います。
いやいや、宗教の中でしきたりはどうでもいいんです。
過激な勧誘、お布施はとんでもない。
戦争なんてもってのほか。
大事なのは宗教の中にある道徳的な事。
仏教でのキリスト教でも2000年以上の歴史の中で培われてきた人として幸せになるヒントが隠されているんです。
それを小さいうちから学ばなければいけない・・・、あ、熱くなってしまいました。
長々とすみませんでした。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年01月17日 18:46
>昭和24歳さん

そうなんですよ。
日本古来の、多神信仰の方が、多様性に寛容でいいなって思います。

我が家の「山の神」も、唯一神なんで問題なんです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月17日 19:48
>弥乃助さん

>大事なのは宗教の中にある道徳的な事。

全く同感です。
問題は宗教そのものではなく、それを善行に結び付けられない、人間の問題ですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月17日 20:08
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