2009年01月14日

地獄堰(じごくぜき)

「地獄堰」という名前の水路が、ずーっと気になっていた。

「地獄堰」という名前を知ったのは、もう何年も前のことだが、どこをどう流れている水路なのか、調べてみたことはなかった。



江木町城東小学校の前にこんな石碑が建っている。

碑文には、
「恐ろしや 地獄の関と 思いしが
 悟ればここぞ 極楽の堰」

と刻まれており、ここにも「地獄」という言葉が登場する。





この石碑は、その先にある「円筒分水」施設ができたことを記念して、建てられたものであろう。

「円筒分水」は、長野用水を下流域の「倉賀野堰」「上中居堰」「矢中堰」そして「地獄堰」に、平等に分配するための施設で、1962年(昭和37年)に完成した。

昔、この付近を「八堰」と呼んでいたそうで、長野用水の支流となる水路がたくさん分岐していたのだろう。
田植え時期になると、それぞれの村の人が水を確保するために、この堰に集まってきたのだそうだ。
一応、各村の町歩に応じて取水することにはなっていたが、各村は人数を集めて、堰を挟んでお互いにけん制し、にらみ合いが続いたと「高崎漫歩」に書かれている。

水の確保に「地獄」を見た村人たちも、「円筒分水」ができてからは、安心して田植えに専念できるようになったというのが、先の「石碑」の碑文となったものと思われる。

さて、「地獄堰」であるが、「円筒分水」から分かれた水を、水路伝いに追ってみた。
するといきなり、水路の脇の細い道に、もう少しで落ちそうな姿で駐車している車を見かけた。
どうやら、道の奥の家の車のようだが、毎日こんな狭い道をバックで入れるているとは、まさに「地獄」の思いだろう。

さらに水路に沿って行くと、「電話金融」の看板を見つけた。
うーん、これもうっかり電話すると、「地獄」を見そうだ。
さすが「地獄堰」だ・・・。


「地獄堰」
の水は、この後、高関町に入る。
高関は昔は「高堰」と書いたらしく、高低差のある堰で、その水の勢いを利用して水車が二か所にあったという。
そして水はさらに、南大類、柴崎、下大類、綿貫の田畑を潤しながら、井野川に流入していく。

かつて「地獄」を見た「水争い」も、人間の叡智と技で「極楽」に変えることができた。
だが、地球上ではいまだに、様々な「争いごと」が絶えることがない。
地球上の全ての人が、「極楽」を味わえる日は、いつになることだろう。

   叡智と技を出しあえば、
         できないはずはないのだが・・・。






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この記事へのコメント
へ~地獄堰ですか。
この道は中居にあるおいらの祖母の家から高校まで行くのによく通った道ですが気づきませんでした。
それにしても碑文にはうまい事書いてありますね。
人生にも繋がるような・・・。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年01月14日 19:17
>弥乃助さん

そうですかー、通学路だったんですね。
私も自転車で街に出る時は、よく使うんですよ。

あの碑文、昔の人の教養と知性を感じさせますよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月14日 19:36
徳川幕府の叡智はすこぶるものがあったようですね。
江戸もその時代は世界最大の都市で人口も最高で200万人・・・・・
それに引き替え、ロンドン、NY あたりは60万人前後だったそうです。
ここ高崎も中山道、三国海道と交通の要衝で幕府直轄の天領・・・・・
飛び地ではあったけど、川越の野火止め、千葉の銚子は高崎藩の領地。そのため結構カネがかかったようです。
まあ、「古きを訪ね新しきを知る」・・・・・大事ですね。温故知新。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年01月14日 20:07
>昭和24歳さん

日本人の叡智、今こそ復活させたいですね。

黒船が来ても、日本が植民地にならなかったのは、江戸時代の日本人の叡智のおかげだと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月15日 10:33
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    コメント(4)