2013年06月09日

ちょいと千葉へ(成田山)

初めての、「成田山新勝寺」です。

高崎にも「成田山光徳寺」がありますが、これは明治十年(1877)に高崎が働きかけて、出張所を開設したものだそうです。

過去記事「北の遠構え」の中にも書いたのですが、「新勝寺」の賑わいにあやかりたいと思ったのでしょう。
開設した当時は、狙い通り賑わったようですが、今はひっそりしています。
境内やその周辺には、面白いものや面白い話が沢山残っているのに、何とも勿体ない思いがします。

その点、本家の「成田山新勝寺」は今もなお賑わいが続き、その規模といい、賑わいといい、大したもんです。

ご覧のように、亀さんまで、押すな押すなの大騒ぎです。

その本家も、江戸時代までは参詣客も少ない寂れた寺院だったようで、「来ないんなら、こっちから行くか。」ってな具合で、「出開帳」といって、わざわざ江戸までご本尊の不動明王を担いで行って、出張開帳してたんだとか。
その成田山が俄かに賑わうようになったのは、何と言っても初代・市川團十郎のおかげのようです。

子供に恵まれなかった團十郎成田山に祈願したところ、翌年めでたく子宝を授かったというので、その報恩のために江戸で上演した「成田不動明王山」が大当たり、以来、成田山は参詣客で大賑わいとなる訳です。

朝ドラや大河ドラマで舞台となった土地が、一躍脚光を浴びるのと同じなんですね。

要は、どうやってその舞台に選んでもらうかという、知恵とご縁の結びつきということでしょうか。

という、「成田山新勝寺」ですが、私の、この日一番の目当ては、これ →

二宮金治郎が、三・七・二十一日の断食・水行をしたという道場です。

小田原藩主・大久保忠真の命を受けて、下野国桜町(現・栃木県芳賀郡二宮町、真岡市)の経済立て直しに取り組んだ金治郎ですが、農民や小田原藩士の無理解と妨害に、行き詰まってしまいます。

富田高慶著「報徳記」では、こんな風に記しています。
心力を労し此の邑(むら)を興し此の民を安んぜんとして旧復の道を行ふこと既に数年、道理に於ては必定旧復疑ひなしといへども、奸民(かんみん)之を妨げ、且(かつ)我と事を共にする所の吏(り)も亦(また)各偏執疑惑を生じ、終(つい)に讒訴に及べり。
内には我が事を傷(そこな)ふの妨(さまたげ)あり、外には侫奸(ねいかん)の民之(これ)と与(くみ)して我が事業を破るの憂あり。
此の如くにして三邑(ゆう)を興復せんこと其(その)期を計る可(べか)らず。嗚呼(あゝ)我能(あた)はずとして退かんことは易しと雖(いえど)も、君命を廃するを如何(いかん)せん。
顧(おも)ふに我が誠意の未だ至らざる所なり。」

普通なら、「俺はお前たちのために頑張ってるんだ。それを何だ!」と言いたくなるところですが、金治郎さんは「妨害を受けるのは、自分の誠意がまだまだ足らないからだ。」と言うんですから、そんじょそこらの人とは違います。

そして、わが身の修行に入ります。
三七二十一日の断食をなし、上(かみ)君意を安んじ下(しも)百姓を救んことを祈誓し、日々数度の灌水を以て、一身を清浄ならしめ祈念昼夜怠らず、二十一日満願の日に至りて其の至誠感応・志願成就の示現を得たりと云ふ。」

これだけでも驚きますが、この後がさらにすごいのです。
満願に及びて始め粥を食し、一日にして二十里の道程を歩行し桜町に帰れり。
衆人驚歎して曰く、如何なる剛強壮健の人なりと雖(いえど)も三七日の断食身体疲労を以て僅かに数里の歩行も難かるべし。況(いわ)んや二十里をや。是平常の測り難き所なりと。」

この荒業を終えたその日に、粥を一杯すすっただけですぐ桜町に戻った金治郎の姿に、人々の心持ちは変わり、尊敬の念へと変わっていくのです。
是より以来邑民(ゆうみん)自然其の徳行に感じ、小田原出張の吏も亦(また)私念挫折、良法の尊き所以(ゆえん)を発明し、内外の妨害解散、実業始めて発達することを得たり。」

今、欲しいと思うリーダーですね。

さて、千葉の旅は続きます。


二宮金治郎について興味の湧いた方は、とりあえず、こちらをご覧ください。
  ◇控帳 「二宮金次郎 天保の大飢饉を救う」

我慢強い方は、こちらもどうぞ。
  ◇「隠居の控帳」






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この記事へのコメント
高崎にも「成田山光徳寺」があったとは

千葉の旅は、長旅になりそうですが、
道中お気をつけて、次回も期待しております。
Posted by wasada49  at 2013年06月10日 05:55
>wasada49さん

千葉も遠いですね。
行ってみたかった所がいくつもあるので、欲をかきすぎたようですが、何回かに分けてお伝えしたいと思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年06月10日 14:09
迷道院さん、千葉までおいでいただきありがとうございました。

群馬からですとJRを使われましたか?

私、今の場所(船橋市)で仕事を初めて丸十年、その前も入れると12年ほど千葉で仕事をしていますが、昨年初めて成田山に行きました。

守り本尊が不動明王なので、一度は行かなければと思いつつ、お参りはいつも深川のお不動さん(成田山深川別院)でお茶を濁していました。

私の場合、京成本線を使って一時間弱で京成成田に着きます。

平日、木曜の午後に行ったものですから、参道の人通りもそれ程でなく、途中のうなぎ屋で飲むこともなく、単にお参りだけでしたが、外国人観光客も結構いたりして、面白い所でした。

迷道院さんも、ゆっくりお楽しみください。
Posted by キレイズキ  at 2013年06月15日 15:25
>キレイズキさん

最近、汽車の乗り方が分かんなくなっちゃって、自家用車で行きました。

キレイズキさんのブログで、成田山の記事も拝見しましたよ。
面白いところですね。

そうですか、守り本尊が不動明王。
私は、千手観音だそうです。
そう言われてみると、千の手に守られてるような気がします。

千葉の旅、楽しんでますよ!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年06月16日 00:43
二宮金治郎は断食・水行までしたのですか!
「不動心の堅固ひとつにあり」とは、今なら
ぶれないということですね。
知れば知るほど、凄い人だったのですね^^。
Posted by 風子風子  at 2013年06月16日 19:45
>風子さん

そうなんですよ、風子さん。

すぐ心が動いちゃう私なんぞは、少し水をかぶって修業した方がいいんでしょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年06月16日 22:19
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