2008年12月09日

音楽センター(その2)

高崎市へ送ったメールの内容です。

《結論》
「音楽の町 高崎」のシンボルとして、今のままの姿で残して
ほしいと思います。

《理由》
1.高崎市は、コンセプトのない町だと感じています。
一応「音楽の町」という名前にはなっていますが、いま一つ実
態が伴いません。
高崎駅を降りて街に出ても、音楽に関する施設や店舗が沢山あ
る訳ではありません。
「音楽センター」を核にして、もっと音楽にこだわった街づく
りを推進してもよいのではないかと思います。

2.「音楽センター」の構造上の問題が挙げられていますが、
それ自体が歴史の遺産として残すべき理由だと思います。
「昔は、このような構造のホールで、このような音響で音楽を
楽しんでいたんだ」ということが体験できるなんて、何と素晴
らしいことではないでしょうか。
大間々の「ながめ余興場」や上三原田の「歌舞伎舞台」は古い
からこそ価値があるのではないでしょうか。
CDの音楽にない良さが、真空管のレコードプレーヤにはある
と思います。
もちろん安全上の配慮はしなければいけないでしょうが、避難
の問題や車いすの問題などは、危機管理を予め想定しておけば
克服できると思います。

3.「音楽の町 高崎」の草分け的喫茶店「あすなろ」も今は
閉店しています。
新紺屋町にあった歌声喫茶「風」も今はシャッターで閉ざされ
ています。
確か、群響の草創期には、ケーキ店の「ラ・メーゾン」が練習
場で、故山本直純さんが子どもの頃お父さんと一緒に来ていた
という話を聞いた気がします。
どうしても「音楽センター」で大規模なコンサート会場として
使えないのであれば、これらの店舗を音楽センター内に復元さ
せることはできないものでしょうか。
ノスタルジックな空間として、市民の集う場所になると思うの
ですが。

4.高崎市民が群響のコンサートをあまり聞きに行かないとい
う問題もあるようです。
「音楽センター」を群響の常設練習場にして、練習風景をいつ
も見られるようにしてはどうでしょうか。
入口にカンパを呼び掛ける箱を置けば、たとえ僅かでも市民や
観光客の浄財を期待できるのではないでしょうか。
そして何よりもそのことが、市民との距離を近づけ、ひいては
コンサートへの誘導灯になると思います。

5.新しく建て替えるのは、お金があればできることでしょう

しかし、古いものを残さなかったために、今、高崎の街なかは
シャッター通りになってしまいました。
「町興しは町残し」という言葉があります。
どうか、高崎の貴重な音楽遺産をそのまま残してください。
そして、「音楽のことなら高崎へ行け。」という言葉が全国に
広まるぐらいに、音楽にこだわった街づくりをしていってくだ
さい。

6.高崎駅前から音楽センターに続く道々に楽器屋さん、音楽
スタジオ、音楽スクール、コンサート用衣装店等々の音楽関連
店舗がひしめいている姿が目に浮かんできます。
町の角々にはストリートミュージシャンの姿、柳川町の居酒屋
には流しのミュージシャン、いつかその中からトップミュージ
シャンが出てくるでしょう。
観音山丘陵には名高い作詞家や作曲家の別荘があるといいです
ね。
音楽に関する店舗や人物の誘致を、行政としても考えてみてく
ださい。

お願いします。そのまま残してください。




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