2012年12月23日

2つの金ヶ崎不動尊

上豊岡の信号から、旧中山道を東へ180mほど行くと、「金ヶ崎(かねがさき)不動尊」があります。
2つの金ヶ崎不動尊

2つの金ヶ崎不動尊ただ、通りに背を向けているので、でもってあまりにも地味なので、おまけに看板があまりにも高いところにあるので、街道歩きの人も見過ごしてしまうのではないかと心配になります。

その高い看板には、温泉地でもないのに「湯関町内会」と書かれています。

2つの金ヶ崎不動尊前に回ってみても、やっぱり地味なお社で、額の文字も、だいぶ薄くなってきています。

2つの金ヶ崎不動尊

2つの金ヶ崎不動尊失礼して扉の穴から中を覗くと、立派なお不動様がおわしました。

「動かざる」ゆえに「不動尊」である訳ですが、このお不動様は動いてこの地に来ちゃったんだそうです。

2つの金ヶ崎不動尊どこからやって来たかというと、碓氷川の対岸、大字乗附字「金ヶ崎」からです。
そこは、「上豊岡の茶屋本陣」で有名な飯野家のちょうど鬼門にあたり、方位除けとして祀ったのが「金ヶ崎不動尊」でした。

過去記事「藤塚の洪水碑」でご紹介した明治四十三年(1910)の大洪水があった時、「金ヶ崎不動尊」は崩れた崖もろとも碓氷川に押し出され、対岸の中豊岡村字「前村」の岸に流れ着いたのです。

2つの金ヶ崎不動尊「前村」の人々はお不動様が流れてきたことにびっくりし、近くの宗伝寺に預けて長年祀っていましたが、その後、飯野家の土地である現在地・字「関口」にお堂を建てて祀ったのだそうです。

字図を見ると、「関口」の東隣りに「湯澤」という字があります。
不動尊の所にある高い看板に「湯関」とあるのは、おそらくこの2つの字が合併したものなのでしょう。

ところで、この「金ヶ崎不動尊」には後日談があって、「高崎の散歩道 第十集」に、こんな記述があります。
なお、乗附町金ヶ崎の地に、金ヶ崎不動尊と刻された石碑が元の位置に土地所有者、乗附幾松、一郎父子によって建てられていることを付記しておくことにする。」

詳しい場所は書かれていません。
しかし、これは気になります。
ところが実は、念ずれば通ずとはこのことかと思うようなことが最近起こりました。

別件の取材で、片岡町にある西部土地改良区の事務所を訪ねた時、そこに、ちょうど乗附町で昔から農家をしているというYさんが来てらっしゃいました。
何気なく乗附幾松さんと一郎さんの話しをしたところ、一郎さんは健在で家にいるはずだと言って、お家まで案内して下さったのです。

お会いした一郎さんは、御年80歳を過ぎているようにお見かけしましたが、間違いなく「高崎の散歩道」に出てくる一郎さんで、「金ヶ崎不動尊」の石碑もちゃんと残っているというので、その場所を教えて頂くことができました。

2つの金ヶ崎不動尊高崎市清掃管理事務所から観音山ゴルフ倶楽部へ向かう坂道を100mほど上った道端、山茶花の茂みの中に隠れるように、ひっそりとそれはありました。

2つの金ヶ崎不動尊正面には、はっきりと「金ヶ崎不動尊」、裏面には、「昭和三十年(1955)正月七日建立」と刻まれています。

ここ一帯の土地は、昭和二十二年(1947)の農地解放で、飯野家から乗附家に所有が移りました。
そんなことから、飯野家に敬意を表し、元「金ヶ崎不動尊」の祀られていた場所に、碑を建てることにしたのでしょう。

乗附一郎さんのお話しでは、祖父の彦太郎さんが碓氷川の河原から、碑にする石を担いで家まで運んできたそうです。
その石に「金ヶ崎不動尊」と刻み、父・幾松さんと一郎さんで台車に積んで、牛に引かせて運んだということです。
当時は今の道路はなく、急な上り坂を牛は前膝をついて這うようにして上ったといいます。

「湯関」「金ヶ崎不動尊」から、「金ヶ崎」「金ヶ崎不動尊碑」へ行くには、過去記事にも書いた碓氷川の木橋「中乗橋」を渡ればすぐです。

お近くにお出かけの節は、ぜひとも2つの「金ヶ崎不動尊」を訪ねてみて下さい。

(参考図書:「高崎の散歩道 第十集」)


【金ヶ崎不動尊】

【金ヶ崎不動尊碑】





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Posted by 迷道院高崎 at 07:30
Comments(9)…続・鎌倉街道中山道
この記事へのコメント
世の中には、素晴らしい人生を送られる方が、
居るものですね、
戦後間もない時に、自ら金ヶ崎不動尊を牛車で
運び建立したとは、名誉や権力の為でなく
決して驕らず,
こんな人生をおくれたら悔いはないでしょうね
Posted by wasada49  at 2012年12月24日 21:43
>wasada49さん

奇特な方ですよね。

ずーっと気になっていたことが、ある時すっと解決することがあります。
きっと、後世に伝えて欲しいという魂が、導いてくれたんだと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年12月25日 09:38
字図という呼び方は初めて知りましたが、ふたつの字図を見ていると、なかなか面白い地名がありますね。
「上ノ山」、「関口」は板鼻にもありましたし、「宿裏」「花見」「歌舞伎」などは、その背景にあったことが想像できて楽しくなりますね。
木橋もまだ見ていませんが、上豊岡あたりへ出かけてみたくなりました。

(順番が逆ですが^^;)
おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 風子風子  at 2013年01月04日 21:05
>風子さん

こちらこそ、本年もどうぞよろしく。

字名というのは、ほんとに味がありますよね。
ところが、字図として残っているのは少ないんです。
この字図は、私の家の近くの方が個人的に研究し、苦労して作り上げたものを頂戴しました。

字名も、消したくない文化の一つですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年01月04日 23:13
はじめまして。文化財、石仏にとっても興味のある者です。この記事読んで気に入りました。

5、6枚目の地図ってどこで入手したんですか!(゚д゚)ホスィ…

てか、こんな豊富な資料、知識って、どこでゲットしたんですか!教えてください(土下座)


ちなみに、見逃しちゃったそうですが、、、
金ヶ崎不動尊を南下してくと、向かいに中田金商(株)さんや魚料理やさんがあると思います
(県道26号線・高崎安中渋川線)
そこの金商さん玄関右の小さな道?入ると(完全私有地に見えますが)
トタン屋根がある小さなお地蔵さんがいます。

ぜひとも特集してください!!
Posted by ベルマーク  at 2013年07月20日 13:49
>ベルマークさん

コメント、ありがとうございます!

文化財や石仏にご興味がおありとか、私が教えて頂きたいことが沢山ありそうです。

字名を書いた地図は、近くにこういう研究をしている方がいらっしゃって、その方から頂戴しました。
もし、ご入り用でしたら「オーナーへメッセージ」でベルマークさんのメルアドをご連絡ください。
その方に了承が得られたら、お送りいたします。

ブログ記事については、いろいろな郷土資料を図書館などで見て知った事ばかりです。
有り難いもので、こんなブログを書いていると、専門家や同じ興味を持つ方から、いろいろ教えて頂けます。
私の力ではありません。

ベルマークさんご紹介の、「トタン屋根のお地蔵様」も興味がありますね。
何か、謂れのあるお地蔵様なのでしょうか。
近くへ行ったら、探してみたいと思います。
ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年07月20日 16:02
早速の返答ありがとうございます!

また上豊岡の茶屋本陣も、雰囲気あってとてもいいですよ。その近くにも、かなりご立派な地蔵さんが何体もあります。(トタン屋根とは別の)赤いよだれかけを毎回作ってる近所の人がいるそうで(伝聞)、拝んでいるひとは何度か見ました。それだけ愛されてるのがわかれります。
話によると、これもまた金ヶ崎と同じケースでありまして。今まで湯関は子宝に恵まれておらず悩んでいて、水害により流れ着いた地蔵により、湯関は子宝に恵まれたとか・・・。
Posted by ベルマーク  at 2013年07月23日 21:00
と、ここまで長々と書いてしまいまして申し訳ないです。

「トタン屋根の地蔵」は、場所も場所でして、かなり奥裏の所で知名度が低く、近所の人に何人か聞きましたがよく知らないそうです。しかし「豊岡誌」にはばっちり載っていました。謎が多すぎて私一人の力ではもう調べられないので、あげてみました。

「字名地図」ありがとうございます。メール送ってみます。
Posted by ベルマーク  at 2013年07月23日 21:15
>ベルマークさん

トタン屋根のお地蔵さん、豊岡誌に載ってましたか。
すみません、偏食なもので読み飛ばしていたかもしれません。

ご近所の方にお聞きしても、なかなかご存知ないことが多いですよね。
どうしても文献に頼ることが多くなりますが、探している時は見つからず、他のことを調べている時に見つかったりすることがあります。

やはり、ご縁が繋がっているかどうかということのようですね。

メール、お待ちしております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2013年07月23日 22:12
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