2012年11月04日

隆起した国道18号

藤塚「大神宮様」から国道の向こう側を見ると、堤防にしては妙に膨らんだ格好になっているのに気が付きます。




藤塚歩道橋の上から見るとちょっとした小山のようで、国道がそれを避けるように曲がっているのが分かります。

高崎側から見ると、小山に上る道が二股に分かれています。

左側は堤防上への道、右側の道はこの先でぷつんと途切れていますが、これが昔の国道18号だと言われても、俄かには信じられないでしょう。

このことについて「高崎の散歩道 第十集」には、こんな記述があります。

昭和三十年代に中山道南側にあった吉田家でこんなことが起こった。
家の柱が急に少しづつずれるので、八幡地区から当時選出された加部市会議員に相談したところ、中山道がコンクリートで舗装されているので、コンクリートが膨張し、柱を押すのだろうなどとみんなで考えた。
しかし六月ごろ碓氷川へひび割れが生じ、川底に段ができ、なお地割れしていることがわかり、村中の大騒ぎになった。
また調べてみると堤防の一部が隆起していることや亀裂が入っていることも分かってきた。
市や土木関係の人々も加わって調査した結果、少林山の周りにも何ヵ所か土地の亀裂、陥没を発見した。
そこで四国の地滑りについての権威者に調べてもらったところ、日本アルプスの雪解け水が浸透してその圧力により弱い地盤の所を吹き上げ、地滑りを起こすのではないか、したがって水を抜けば地滑りは止まるということで、早速、市や県によって少林山東のカニ沢の崖に隧道を掘り水を抜くことにしたが、掘り進んでいくうち機械の故障で中止となった。
この間、拠点を定め細かに測量してみると、大崖が南へ動いている、いや北へ動いているということで問題が発展し、全国的な問題になってしまった。
そこで京大の教授はじめ全国の地質・土木の学者や当局の担当者が集まり再調査したところ、少林山の丘陵全体が三十メートル下で頁岩層となっていて、碓氷川の底へ傾斜している。
この層の上を地下水が流れその影響で地滑りが起こるという結論に達した。
対策としては、少林山下にコンクリートの杭を大量に打ち込んだため最近は地滑りもなくなった。
この間、吉田家では家の前の中山道が二階の高さまで上がってしまい、道を通る人が『お宅はえろう落ち込んでしまったのう』とは、中山道の隆起したことを知らない人の言葉であったと、吉田良太郎翁は、藤塚と共に生きてきた過去の災害記録を淡々と語ってくれた。」

昭和34年(1959)4月頃、民家の立てつけ等に多少の狂いが出たのが、事の始まりでした。
その時は、建物のせいだろうとあまり気にしなかったそうですが、7月になって急に変形が激しくなり、土間のコンクリート等が破壊し始めました。
翌35年(1960)6月になると、国道に300mにわたる亀裂が発生し、隆起が始まります。
隆起は、7月には8cm、10月には1m、翌年6月になると3~5mにも達し、家屋15戸倒壊、橋梁一基倒壊という大きな被害も出しました。
(昭和58年10月群馬県土木部砂防課発行「少林山地すべり」より)

その時の写真が、国土交通省砂防事例集の中に残されています。
  ◇日本の地すべり災害事例写真集「群馬県高崎市少林山地区」

堤防上には、赤く錆びついた「少林山地すべり防止区域」の看板が今も建っていて、地すべりにつながるような土木工事を禁じています。

少林山の地滑り対策工事は、発生直後の昭和三十五年(1960)から平成十一年(1999)までの長きにわたって続けられました。

その間、様々な対策工事が行われましたが、最終的には達磨寺本堂裏の滑り易い土を取り除くという、大掛かりな工事となりました。




その時伐採されたケヤキの木は、平成九年(1997)に建てられた総門に使われています。

そして、土を取り除いた一帯は、広大で見晴らしの良い公園に生まれ変わり、そんな地すべりがあったことなど感じさせません。

ただそこに建てられた大きな看板だけが、40年にわたる自然との格闘の歴史を語り継いでいます。



【隆起した国道跡】






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Posted by 迷道院高崎 at 09:13
Comments(4)中山道
この記事へのコメント
昔の国道18号と言うことは中山道でもあるのでしょうか。

もしそうだとしたら、川の土手を街道にしている点で吹上から熊谷宿にかけての区間と同じですね。(旅人に踏み固めさせるためかなぁ。)


災害との戦いの歴史は子孫の防災のためにも語り継がれて欲しいです。危険性が忘れ去られるのは恐ろしいです。
Posted by ふれあい街歩き  at 2012年11月05日 20:48
>ふれあい街歩きさん

ほー、吹上から熊谷宿は土手上が街道だったんですか。

藤塚の国道18号は仰る通り中山道ですが、もともと
土手の上ではなかったんですね。
藤塚に一里塚が現存してますが、その北側を通って
ました。

今、「深層崩壊」というのが取り沙汰されているので、
少林山の地滑りのことを思い出して、記事にしてみま
した。
災害は忘れた頃にやって来るそうですから、時には
思い出して、心の備えをしておく必要がありますね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年11月05日 23:02
そーだったのですか!
少林山の地滑りのことは初めて知りました。
藤塚の大神宮さまも知りませんでしたが、実際に
歩いてみないとわからないですね。
国道がカーブしているのも、写真を見て納得しました。
達磨寺本堂裏が広い公園になっているのも、ちゃんと
理由があったのですね。
いろいろと教えて頂き有難うございます^^。
Posted by 風子風子  at 2012年11月06日 08:51
>風子さん

昔の人は偉かったと思いますよー。
災害に遭った時、必ずそれを後世の人への教訓として、伝えてるんですよね。

災害のことを早く忘れたいと思う気持ちもよく分かりますが、いつもそこへ行くと教訓を思い出すという仕掛けも必要な気がします。

史跡を残すということは、そういうことなんじゃないでしょうか。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年11月07日 22:31
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