2012年09月09日

続・鎌倉街道探訪記(25)

続・鎌倉街道探訪記(25)
八幡八幡様に向かって参道を進むと、道端に小さな道しるべが建っています。

続・鎌倉街道探訪記(25)




「向右けんざき道」と刻んでありますが、方向が逆です。
きっとどこかにあったものを、道路改修の時にでもここに移したのでしょう。

豊岡の道しるべもそうでしたが、いつかは元あった場所に戻してほしいものです。

続・鎌倉街道探訪記(25)
道の反対側が、あの大カシノキです。

カシノキのすぐ左、美容室COSTAの横道を入ります。

続・鎌倉街道探訪記(25)

続・鎌倉街道探訪記(25)80mほど歩くと、明和元年(1764)の道祖神などが、道の角に建ち並んでいました。

やはり、この道が昔からの道であるということでしょう。

続・鎌倉街道探訪記(25)
さらに80mほど行っただるま屋さん(堀口だるま店)の作業場の中には、製作途中のだるまさん。

目が・・・ちょっとこわい。

続・鎌倉街道探訪記(25)
そのちょっと先に、「八幡町第二区西公民館」があるのですが、道に面して、無縫塔や石堂が並んでいます。

屋根のとれた石堂には木柱が刺さっており、「観音堂(三・・・」という文字が読めます。

続・鎌倉街道探訪記(25)
木柱を引き抜いて見ると、「観音堂(三和尚地・・・」とあり、もっと下に文字があったようですが、朽ち欠けていて分かりません。
ここに、かつて「観音堂」があったということなのでしょう。

「三和尚」というのが気になって調べてみました。
(参考図書:「歴史の道調査報告書 鎌倉街道」「私たちの八幡」)

八幡の八幡宮には別当寺の大聖護国寺と、今はありませんが五つの僧房があったのだそうです。
その僧房のことを「和尚(わじょう)」と呼び、「三和尚」はそのひとつで、「さんわじょう」と読むのだそうです。

なぜか「一和尚」はなく、「二和尚」「三和尚」「四和尚」「五和尚」「六和尚」の五つだったようです。
その多くは八幡の台地の上にあり、行き来するための坂道が現在も残っています。

続・鎌倉街道探訪記(25)「八幡町第二区西公民館」前の細道に入り、突き当りを右に曲がったらすぐ左に入ります。

続・鎌倉街道探訪記(25)





こりゃ、民家の敷地じゃないかい?という所を構わず入って行くと・・・

続・鎌倉街道探訪記(25)

ちょっと行きたくないなぁと思わせる、竹やぶの暗いトンネルが見えます。

これが、「三和尚坂」です。

入っていく意気地もなく、引き返してきちゃいました。

続・鎌倉街道探訪記(25)さっき通ってきた明和元年(1764)の道祖神の所を入った奥が、「二和尚坂」でした。↓
続・鎌倉街道探訪記(25)



続・鎌倉街道探訪記(25)





この坂は現在も使われているようで、
整備された階段になっています。→

続・鎌倉街道探訪記(25)

←さらに八幡様仁王門まで戻って、左に上っていく坂が「五和尚坂」です。

続・鎌倉街道探訪記(25)反対に、仁王門の右を上っていく坂は「えんま堂坂」といいます。→

続・鎌倉街道探訪記(25)




「えんま堂坂」を上りきったところにあるのが別当寺の「大聖護国寺」で、その山門前の長い石段が「六和尚坂」です。

ふぅー、すっかり後戻りしちゃいました。

続・鎌倉街道探訪記(25)再び、「三和尚坂」のところの「八幡町第二区西公民館」まで歩くと、そのすぐ先は信越線の踏切です。

踏切を渡らずに右へ行けば、「堂坂」を経て台地に上がり、板鼻「毘沙門坂」へ至ります。
これも鎌倉街道だと言われています。

続・鎌倉街道探訪記(25)
←踏切を渡ってすぐ右へ入る田んぼ中のバラス道、おそらくこれが板鼻に向かう鎌倉街道の名残だと思います。

続・鎌倉街道探訪記(25)

踏切からおよそ320m、ここが板鼻との境です。→

記念にズックの底で線を引いてきましたが、子どもっぽかったでしょうか。

やれやれ、昨年の12月からスタートした続・鎌倉街道探訪記も、やっと高崎の西端に到達いたしました。
ということで、このシリーズは今回で筆を擱(お)くことに致します。
長らくこのシリーズにお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。

次回からは、帰る道すがら、気になる道草をつまみ食いしていこうかと思います。
引き続きお付き合いのほど、お願い申し上げます。
                               迷道院高崎 拝


【今日の散歩道】






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Posted by 迷道院高崎 at 06:52
Comments(4)…続・鎌倉街道
この記事へのコメント
高崎の西端まで、鎌倉街道探しご苦労さまでした。
今回の“和尚坂”、おもしろいですねー。
西公民館のあたりは石塔が多く見られて気になっていましたが、そういうことだったのですね。
パチンコ屋さんの駐車場沿いの道が鎌倉街道だったとは!
何も考えずに歩いておりました・・・。
この線路はSLが通過するので、そればかりに気をとられていましたが、勉強不足でした。
Posted by 風子風子  at 2012年09月09日 16:37
>風子さん

あの踏切付近は、SLの写真を撮るにはもってこいの場所ですよね。

鎌倉街道も学術的に根拠を示すのは難しいんでしょうが、「鎌倉街道・・・かも。」というだけで、歩く人は楽しいと思います。
そんな「かも遺跡」「かも史跡」の看板でも、許されるんじゃないでしょうか。

「和尚坂」も、かつては坂の名前を書いた木柱がちゃんと立っていたようです。
もう一度、整備したいものですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年09月09日 19:19
拝啓

和尚坂、大興奮ものです。
いやこういうのがちゃんと地域の記憶として残っているんですね。
それのみならず、その記憶を、迷道院さんのような好学者(私も含めてですが、いわゆるモノ好き・・・自笑)のために残してくれた好事家がちゃんといてくれたんですね。

>記念にズックの底で線を引いてきましたが、子どもっぽかったでしょうか。

・・・・いやこのあたりがいつまでも好奇心を失わぬ好事家の好事家たる所以。

>ちょっと行きたくないなぁと思わせる、竹やぶの暗いトンネル・・・

夏の藪蚊は御免被りたいですが、晩秋か初冬になったら、藪をゴソゴソしてみたい気も致します。

いつも面白い話題提供、ありがとうございます。

      夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2012年09月12日 17:32
>夢寅さん

どうもどうも、夢寅さん。

本当に、こういうことを書き残してくれた先人に感謝し、敬意を表したいと思います。

でも、それらの記憶も消えかかっています。
誰かが受け継いでいかないと、道そのものが消えてしまいます。

長く伝えていくには、学校教育の中に郷土の歴史を組み入れるのが、一番いい方法なんでしょうね。
そうすれば、その内の何人かは好事家になってくれることでしょう。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年09月12日 22:54
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