「瀬戸川」に沿って歩きます。
平日ということもあるのでしょうが、飛騨高山ほど人も多くなく、落ち着いた雰囲気です。
ちょうど、白川郷に対する五箇山のような感じでしょうか。
古川の人は、朝起きると自分の家より先に道路の掃き掃除をする、と教えて頂いた通り、朝9時の川辺にはごみ一つ落ちていませんでした。
川べりにこんな案内板が建っていました。
ちょっとした伝承ではありますが、今も昔も旅人は由来や薀蓄が好きなものです。
この案内板がなかったら、おそらくここを見上げることはないでしょう。
観光地たるもの、大いにこういった案内板を建てるべきだと思います。
川べりの家の玄関には、みな何かしらのディスプレイが飾られていますが、相談役の玄関に下がっている「遊び中」の木札には、思わず吹き出しました。
ところが歩いていると、そういう木札が下がっているお宅が何軒もあるんです。
で、この木札を裏返すと「勉強中」という文字が書かれています。
聞いてみると、これ、子どもがいる家に区域で配った木札なんだそうです。
子どもが宿題や勉強をしている時には、「勉強中」に。
それが終わって、遊べるようになったら「遊び中」にするんだそうです。
子どもの頃、友達の家の玄関で「〇〇ちゃーん、遊ぼー!」と言うと、「あーとでねー!」なんて返ってきたことを思い出して、すごく懐かしい気持ちになりました。
←切り絵と古布の店「布紙木(ふしぎ)」、残念ながらお休みでした。
写真マニアのご老人が鶴瓶さんにゴリ押ししていた、美人オーナーのいる「由布衣(ゆう)工房」。→
石橋を渡って細い路地を進むと、玄関の方に抜けられます。
素敵な玄関から声を掛けると、「はーい、どうぞー。」という声が返ってきます。
いました!
オーナーの河合由美子さん。
機織りから染色まで、すべてご自分の手でなさっています。
数寄屋造りの素敵なお部屋に、美しい草木染の作品がたくさん陳列されていました。
奥には、機織りの作業場や立派な座敷蔵があって、染料になる植物や生糸、作品などが展示されています。
「どちらから?」と聞かれたので「群馬です。」と答えると、即座に「あー、富岡製糸のある。」というお答え。
嬉しかったですねー。
「高崎には、染料植物園というのがあるんですよ。」と言うと、これまた即座に「あー、山崎先生のね。一度行ってみたいと思っているんですよ。」というお答え。
染色関係の方はとうにご存知なんでしょうが、そうでない高崎の人で、「山崎先生」をご存知の方は少ないのではないでしょうか。
そう言う私も、鎌倉街道探訪で豊岡のことを調べていたので、たまたま知っていただけなんですが、遠い古川で「山崎先生」という名前を聞いて、ちょっぴり誇らしい気分になりました。
では、「山崎先生」について少しお話ししましょう。
豊岡に「草木染研究所」というのを開いた、山崎青樹(せいじゅ)という群馬県の重要無形文化財に指定された、すごい染色家がいたんです。
(平成22年/2010歿 享年77)
井上房一郎氏の招きにより、長野県佐久から豊岡に移り住んだ青樹氏が、碓氷川の堤防際に「草木染研究所」を設立したのは、昭和三十三年(1958)のことです。
そもそも、「草木染」という言葉は青樹氏の父・斌(あきら)氏が命名し、商標登録したものなんだそうです。
しかし、商標登録の更新時期が来た時、青樹氏は、多くの人に自由に使ってもらう方がいいと考え、その更新をしませんでした。
いま全国各地で「草木染」という名前を使えるのは、青樹氏の広い心があったからなのですね。
その後、研究所は豊岡バイパス建設予定地に引っ掛かり、昭和五十四年(1979)に北久保町の烏川の堤防際に移転します。(現在は閉鎖。)
そして平成六年(1994)、青樹氏が当時の松浦市長に提言し、青樹氏指導のもとに建設されたのが「高崎市染料植物園」でした。
現在「高崎市染料植物園」の講師を務めている山崎和樹氏は、青樹氏の長男で、神奈川県川崎市に「草木染研究所柿生工房(草木工房)」を開設しています。
また、次男・樹彦(たてひこ)氏も富岡市妙義町に、「草木染伝習所」を開設しています。
あ、記事のタイトルからずいぶん外れてしまいました。
ここらで、〆ましょう。
いーい町でした、飛騨古川!
平日ということもあるのでしょうが、飛騨高山ほど人も多くなく、落ち着いた雰囲気です。
ちょうど、白川郷に対する五箇山のような感じでしょうか。
古川の人は、朝起きると自分の家より先に道路の掃き掃除をする、と教えて頂いた通り、朝9時の川辺にはごみ一つ落ちていませんでした。
川べりにこんな案内板が建っていました。
ちょっとした伝承ではありますが、今も昔も旅人は由来や薀蓄が好きなものです。
この案内板がなかったら、おそらくここを見上げることはないでしょう。
観光地たるもの、大いにこういった案内板を建てるべきだと思います。
川べりの家の玄関には、みな何かしらのディスプレイが飾られていますが、相談役の玄関に下がっている「遊び中」の木札には、思わず吹き出しました。
ところが歩いていると、そういう木札が下がっているお宅が何軒もあるんです。
で、この木札を裏返すと「勉強中」という文字が書かれています。
聞いてみると、これ、子どもがいる家に区域で配った木札なんだそうです。
子どもが宿題や勉強をしている時には、「勉強中」に。
それが終わって、遊べるようになったら「遊び中」にするんだそうです。
子どもの頃、友達の家の玄関で「〇〇ちゃーん、遊ぼー!」と言うと、「あーとでねー!」なんて返ってきたことを思い出して、すごく懐かしい気持ちになりました。
←切り絵と古布の店「布紙木(ふしぎ)」、残念ながらお休みでした。
写真マニアのご老人が鶴瓶さんにゴリ押ししていた、美人オーナーのいる「由布衣(ゆう)工房」。→
石橋を渡って細い路地を進むと、玄関の方に抜けられます。
素敵な玄関から声を掛けると、「はーい、どうぞー。」という声が返ってきます。
いました!
オーナーの河合由美子さん。
機織りから染色まで、すべてご自分の手でなさっています。
数寄屋造りの素敵なお部屋に、美しい草木染の作品がたくさん陳列されていました。
奥には、機織りの作業場や立派な座敷蔵があって、染料になる植物や生糸、作品などが展示されています。
「どちらから?」と聞かれたので「群馬です。」と答えると、即座に「あー、富岡製糸のある。」というお答え。
嬉しかったですねー。
「高崎には、染料植物園というのがあるんですよ。」と言うと、これまた即座に「あー、山崎先生のね。一度行ってみたいと思っているんですよ。」というお答え。
染色関係の方はとうにご存知なんでしょうが、そうでない高崎の人で、「山崎先生」をご存知の方は少ないのではないでしょうか。
そう言う私も、鎌倉街道探訪で豊岡のことを調べていたので、たまたま知っていただけなんですが、遠い古川で「山崎先生」という名前を聞いて、ちょっぴり誇らしい気分になりました。
では、「山崎先生」について少しお話ししましょう。
豊岡に「草木染研究所」というのを開いた、山崎青樹(せいじゅ)という群馬県の重要無形文化財に指定された、すごい染色家がいたんです。
(平成22年/2010歿 享年77)
井上房一郎氏の招きにより、長野県佐久から豊岡に移り住んだ青樹氏が、碓氷川の堤防際に「草木染研究所」を設立したのは、昭和三十三年(1958)のことです。
そもそも、「草木染」という言葉は青樹氏の父・斌(あきら)氏が命名し、商標登録したものなんだそうです。
しかし、商標登録の更新時期が来た時、青樹氏は、多くの人に自由に使ってもらう方がいいと考え、その更新をしませんでした。
いま全国各地で「草木染」という名前を使えるのは、青樹氏の広い心があったからなのですね。
その後、研究所は豊岡バイパス建設予定地に引っ掛かり、昭和五十四年(1979)に北久保町の烏川の堤防際に移転します。(現在は閉鎖。)
そして平成六年(1994)、青樹氏が当時の松浦市長に提言し、青樹氏指導のもとに建設されたのが「高崎市染料植物園」でした。
現在「高崎市染料植物園」の講師を務めている山崎和樹氏は、青樹氏の長男で、神奈川県川崎市に「草木染研究所柿生工房(草木工房)」を開設しています。
また、次男・樹彦(たてひこ)氏も富岡市妙義町に、「草木染伝習所」を開設しています。
あ、記事のタイトルからずいぶん外れてしまいました。
ここらで、〆ましょう。
いーい町でした、飛騨古川!
店先の 無料休憩コーナー |
「恋の水」 だそうです |
非売品のお酒も 売ってます |