2012年03月18日

続・鎌倉街道探訪記(15)

「若宮八幡宮」から、再び「常安寺」の方へ戻ります。

参道の両脇に「常安寺」の石門がありますが、以前は旧中山道に面して建っていたのだそうです。
大きな木が茂る一角は「常安寺」の駐車場ですが、「忠魂碑」「忠霊塔」が並んで建っています。

「忠魂碑」乃木希典の揮毫で、明治四十年(1907)豊岡尋常高等小学校の校庭に建てられたものだそうです。
戦後、その存在を憚ってか校庭に穴を掘って埋められてしまいましたが、後に掘出して現在の場所に設置したのだといいます。
この話を聞いて、岩鼻「裏返え碑」のことを思い出しました。

片や「忠霊塔」東条英機の揮毫で、昭和十七年(1942)にここに建てられています。
さすがに大きすぎて、地中に埋めることもできなかったのでしょうが、「高崎の散歩道」(昭和五十四年/1979発行)によると、碑裏面の「陸軍大将 東条英機謹書という文字は、緑のペンキで塗りつぶされている」と書かれています。
今は、そのペンキも剥がれ落ちていますが。

道が二股になっている所に、庚申塔二十三夜塔などが建っているのですが、そこに気になる石が一つ置いてあります。

その石には、旗本退屈男三日月傷みたいな穴があいてるんです。

何となく、「常安寺」の院号「月光院」に因んで、誰かがここに置いたような気がするのですが・・・。

やっと「常安寺」山門まで戻り、鎌倉街道と言われる左の道を進みます。

山門から160mほど行った四つ辻を真っ直ぐ進むと、左側に道陸神が建っています。↓




ただ、どう見てもこのお宅の庭石のようにしか見えません。

裏面を見ると「明和二年(1765)乙酉」とありましたので、昔からこの辺に建っていたもののようです。

←その道陸神の前の塀際に、ひとつの石が無造作に転がっています。

驚くことに、これ、道しるべなんです。





文字は割合はっきり読み取れて、「向 右野道 前中仙道 後下台 左中仙道 通」と刻まれています。

「豊岡誌」によると、「享保三年(1718)」と刻まれていて、「高崎最古の道しるべ」だそうじゃありませんか。

そんな貴重なものを、放り出しておいていいんでしょうか。
何とか建て直して、高崎の文化度を疑われることのないようにしたいものですが。

はいっ、今日はここまでっ。

(参考図書:「豊岡誌」「高崎の散歩道」「続・高崎漫歩」)


【今日の散歩道】





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この記事へのコメント
へぇー!
たしかに中仙道と読めますね。
実は最近、中山道ではなくて中仙道と彫られた
道標を探していたのです。
嬉しくなって記事を書いてしまいました。
実物を見に行かなきゃ・・・^^。
Posted by 風子風子  at 2012年03月19日 22:18
>風子さん

風子さんの記事も拝見しましたよ!

「仙」の字の道しるべはここにもありますので、併せてご覧くださいませ。
http://inkyo.gunmablog.net/e218136.html
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年03月20日 08:40
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