2012年01月15日

続・鎌倉街道探訪記(6)

高崎城「赤坂門」跡の土塁終端に、桜の蕾が一輪、春を待ちかねるように開きかけていました。

金網の向こうからは、高松中学校の野球部員の元気な声が聞こえてきます。



昔は、「馬出し」(坊主山)があったので、そこから下の道に下りたのでしょうが、今はそれが無くなってしまったので、ここで土塁を下りましょう。

古くは、ここらあたりを「赤坂」と言っていたようで、「高崎志」には次のように書かれています。

上野国群馬郡赤坂荘ハ名義未詳、里俗伝ヘ云、其土赤埴(あかはに:赤土)ニシテ、坂アル故ニ赤坂ト名ツク、・・・
里老云、今高崎城赤坂門ノ外ノ坂ハ、即古ノ赤坂也、門内ノ南ヲ赤坂山ト云、此地ニ榎多クアリ、故ニ榎ノ森トモ呼リ、・・・」

土塁を下りて、ちょっといい雰囲気のせせらぎを少し戻って、道路に上がります。

左側に写っているマンションのところには、かつて明治十三年(1880)創業の「栗本牧場」がありました。

給食の脱脂粉乳が、瓶詰の栗本牛乳に変わった時は、けっこう嬉しかった記憶があります。



なぜか、寄合町の山車庫があって、真っ直ぐ行くと国道17号に出ちゃいます。

私が子どもの頃は、国道ったって車はほとんど通らず、平気で横切ってたもんですが・・・。

国道へ出る10mほど手前の道、ここが常盤町高松町の境になります。

江戸時代まで、この一帯は「赤坂窪」と呼ばれていて、田畑の中に一本道が通っていたようです。




50mほど進むと、ノスタルジックな「たばこ」の看板。

この相向かいに、「陸軍所轄」の標柱が建っているんです。


←国道下から来る道と合流する四叉路を、道なりに直進します。







200mほど進むと丁字路に出て→
右前方に高い煙突が見えてきます。

煉瓦造りの煙突が、明治三十年(1897)創業の「岡醤油醸造」「巨神兵」みたいな金属の煙突が、明治二十六年(1893)創業の「蝋山酒造」を継いだ「美峰酒類」です。

手前の大きな駐車場は「岡醤油醸造」の土地で、昔は醸造蔵があったところです。

駐車場の一角に、立派なお稲荷さんの鳥居と社があります。

「岡醤油醸造」の、屋敷稲荷でしょう。

丁字路から80mほど行くと、常磐町(ときわちょう)の交差点に出ます。
右前方の煉瓦塀は、和風図書館「山田文庫」です。
今日は、ここまでと致しましょう。



【前回からの散歩道】





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