2011年12月10日

続・鎌倉街道探訪記(1)

え?またかい。
という、皆さんの呆れ顔がまぶたに浮かびますが、昨年から今年にかけて探訪した鎌倉街道は、高崎城三の丸から南へ向かって藤岡との境まで辿り着きました。
だけど、北への道も紹介しなければ片手落ちだな、という思いがずーっとありました。

そんな訳でまた鎌倉街道ですが、よろしくお付き合いのほどを。

スタートは、やはり高崎城三の丸からです。








説明看板も、つい最近あたらしく立て替えられたようで、嬉しいです。

因みに、前の看板はこんな感じ。→

ちょっと薄れて、読みずらいなぁと思っていました。

土塁の内側の紅葉が、けっこう綺麗でした。
この辺りは昔、高崎税務署があった所で、その前は東京鎮台歩兵第三連隊本部、さらに前は旧城主・大河内氏の別館があったそうです。

その跡地には、広島で被爆したアオギリの種から芽を出した「被爆アオギリ二世」が、植樹されています。





←そして、長崎で被爆したクスノキの二世もあります。

高崎市は、昭和六十一年(1986)に「核兵器廃絶平和都市宣言」をしています。

それにしても、人間は厄介なものを造ってしまったものです。

市庁舎21階に上って、これから歩く先を見通してみました。

遠くの山の中腹まで、人間が造ったものでびっしりと埋め尽くされています。

果てしなきこの広がりも、これまた 厄介なもののひとつかも知れません。

高崎市発行の写真集「高崎百年」には、迷道院が生まれた年の航空写真が掲載されていました。

中心市街地の周りは、スカスカでした。




それから50年弱で、こんなにギチギチになりました。

あと44年後の姿は、昭和24歳さんの予言をどうぞ。

さて、次回からは北に向かって歩き始めます。





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この記事へのコメント
今年は大震災や原発事故など辛い出来事がありました。被害に遭われた方々や今なお大変な思いをされている方々が大勢いらっしゃいます。
これからの私たちは如何すればいいのか、考えていかなければなりません。
これまで困難な時代を乗り越えてきた先人の苦労や智慧をお借りして、より良い判断をしていきたいものです。
Posted by 元氣が一番!  at 2011年12月11日 09:11
>元氣が一番!さん

本当に大変な年でした。

気が付かない内に世の中が変わっていることもあれば、一瞬にして変わってしまうこともある。
当たり前のことなのに、改めてそれに気づかされました。

どっちにしても世の中は変わるものでしょうが、変わるのならば、安心できる世の中に変えたいものです。

それは、とてつもなく難しいことかもしれませんし、あっけないほど簡単なことかもしれません。
そんな気がします。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年12月11日 09:43
競馬場がよく分かります。
その直ぐ南が佐野中ですが
1948.12~1949.2に
校地整理をしたそうです。
1949.7.16竣工です。

この写真は1948年の何月頃
撮ったのでしょうか?
校地整理の前だったのでしょうか?

周りは一面の田んぼでした。

44年後は
どんな航空写真に
なっているのでしょうか?

競馬場跡には
何が立つのでしょうか?
わたしは
人工物ではなく
憩いの森にしたいのですが・・・
Posted by いちじん  at 2011年12月11日 23:47
>いちじんさん

1948年の何月かは記載されていませんが、撮影したのは米軍だそうです。
写真を拡大すると、1945年8月15日に空襲を受けた大手前一帯は、まだその痕跡を残しているように見えます。

競馬場跡は、どうしたもんでしょうかねー。
高崎市が本格的な観光都市を目指すのなら、ここをヴィジターパークにするなんてのもいいと思うのですが・・・。

今までは、航空写真に見るように拡大・発展の一方でしたが、もうそろそろ集約・充実に向ける時代なんでしょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年12月12日 10:22
広島で被爆したアオギリ2世や長崎で被爆したクスノキ2世があるなんて、知りませんでした!
最近のニュースでは、あの津波に耐えて残った奇跡の1本松も塩害で残念なことになりそうとか・・・。
人の心を潤してくれる木を大切にしたいですね。
Posted by 風子  at 2011年12月14日 21:04
>風子さん

そうですよね、ジミ~に植えてあるので気が付き難いかもしれませんね。
もしかすると、高崎市民でも知らない人が多いかもしれません。

先日、「千の風になって」の新井満さんの講演を聞いてきたんですが、その奇跡の一本松を題材に、「希望の木」という散文詩を作ったということで、全文をBGM付きで朗読してくれました。
すごかったですよー。

奇跡の一本松も「ツギキ四兄弟」が命を継いでるそうですね。
やなせたかしさんが、長男「ノビル」、次男「タエル」、三男「イノチ」、四男「ツナグ」と命名したとか。
元気に成長することを願うばかりです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年12月14日 22:21
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