9月3日、群馬県立歴史博物館で「西埼玉地震と被災地群馬」という、興味深い講座がありました。
講師は、昨年の11月に「岩鼻歴史遺産見学会」でお世話になった、手島仁先生です。
みなさんは、「西埼玉地震」というのをご存知でしたでしょうか。
あの「関東大震災」よりも大きい被害を群馬県下にもたらし、中でも高崎が激甚な被害を被ったという地震なんです。
「新編高崎市史」には記載されているのですが、ほとんど市民の記憶には残っていないという、不思議な震災なんです。
実は、ブログの記事にすべきかどうか、ちょっと迷っていました。
最近の天変地異による災害が相次いでいるなかで、さらに不安を増すようなことになりはしないかと心配だったからです。
そしたら、9月15日号の広報高崎と、9月21日の群テレ「ニュースジャスト6」で、手島先生ご自身が語っておられたので、記事にすることに致しました。
昭和六年(1931)九月二十一日午前11時20分、埼玉県仙元山付近を震源としたマグニチュード6.9の「西埼玉地震」が発生しました。
埼玉県内では、死者16名、負傷者146名、家屋の全壊206戸、半壊286戸と、大正十二年(1923)の「関東大地震」に次ぐ大きな被害を出しました。
しかし、その双方の地震の震度分布を比較すると、群馬県に於いては「関東大地震」と同程度の揺れに見舞われていることが分かります。
また「西埼玉地震」は、その範囲から「北関東地震」とも言いますが、手島先生は群馬県の被害の大きさを考えると、「埼玉・群馬地震」と呼ぶ方が相応しいと仰っています。
たしかに、左の表を見ると群馬県では、「関東大地震」より「西埼玉地震」の方が、はるかに大きな被害をこうむっています。
手島先生によると、この被害の数字は過小評価しているのではないかということです。
それは、当時の前橋測候所の調査が、県内全域を調査しておらず、追跡調査もしていないからだというのです。
それはあるにしても、その報告書によると、前橋・安中・藤岡が震度5の強震であるのに対し、高崎・渋川・松井田は震度6の烈震となり、「関東大地震」よりも強い揺れとなっています。
被害の状況を地図にしたものを見ても、高崎周辺に被害が集中しているのが分かります。
地震発生翌日の上毛新聞には、「煙突倒壊多數 重輕傷者十一名 高崎の被害は激甚」という見出しで、被害状況を列挙した記事が載っています。
その中に、常磐町の「岡醤油醸造」の三十五尺の煉瓦煙突が倒壊、さらに二本の煙突が半壊し、雇人が重傷を負ったということも書かれています。
また、当時73歳の高崎市長・関根作三郎氏宅の土蔵も激しく損壊し、次のような談話を残しています。
この時代も、「群馬県は地震に強い」というのが通説になっていたことが分かります。
では、過去、群馬県に被害を及ぼした地震は、どのくらい起きているのでしょうか。
「高崎市耐震改修促進計画」の資料を見てみましょう。
(先の、「群馬県気象災害史」のデータと若干異なる部分がありますが。)
上の表に載っていない地震も、地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課)の資料から追記しておきましょう。
これで「地震に強い」とみるかどうかは意見の分かれるところかもしれませんが、少なくとも、「大きな地震に見舞われることがある」のは、確かなようです。
そして注目すべきは、マグニチュードの大きさの割に大きな震度で高崎を襲い、激甚な被害をもたらした「西埼玉地震」ではないでしょうか。
次回は、「西埼玉地震」について、もう少しお話ししたいと思います。
講師は、昨年の11月に「岩鼻歴史遺産見学会」でお世話になった、手島仁先生です。
みなさんは、「西埼玉地震」というのをご存知でしたでしょうか。
あの「関東大震災」よりも大きい被害を群馬県下にもたらし、中でも高崎が激甚な被害を被ったという地震なんです。
「新編高崎市史」には記載されているのですが、ほとんど市民の記憶には残っていないという、不思議な震災なんです。
実は、ブログの記事にすべきかどうか、ちょっと迷っていました。
最近の天変地異による災害が相次いでいるなかで、さらに不安を増すようなことになりはしないかと心配だったからです。
そしたら、9月15日号の広報高崎と、9月21日の群テレ「ニュースジャスト6」で、手島先生ご自身が語っておられたので、記事にすることに致しました。
昭和六年(1931)九月二十一日午前11時20分、埼玉県仙元山付近を震源としたマグニチュード6.9の「西埼玉地震」が発生しました。
埼玉県内では、死者16名、負傷者146名、家屋の全壊206戸、半壊286戸と、大正十二年(1923)の「関東大地震」に次ぐ大きな被害を出しました。
(埼玉県総務部消防防災課)
しかし、その双方の地震の震度分布を比較すると、群馬県に於いては「関東大地震」と同程度の揺れに見舞われていることが分かります。
また「西埼玉地震」は、その範囲から「北関東地震」とも言いますが、手島先生は群馬県の被害の大きさを考えると、「埼玉・群馬地震」と呼ぶ方が相応しいと仰っています。
たしかに、左の表を見ると群馬県では、「関東大地震」より「西埼玉地震」の方が、はるかに大きな被害をこうむっています。
手島先生によると、この被害の数字は過小評価しているのではないかということです。
それは、当時の前橋測候所の調査が、県内全域を調査しておらず、追跡調査もしていないからだというのです。
それはあるにしても、その報告書によると、前橋・安中・藤岡が震度5の強震であるのに対し、高崎・渋川・松井田は震度6の烈震となり、「関東大地震」よりも強い揺れとなっています。
被害の状況を地図にしたものを見ても、高崎周辺に被害が集中しているのが分かります。
地震発生翌日の上毛新聞には、「煙突倒壊多數 重輕傷者十一名 高崎の被害は激甚」という見出しで、被害状況を列挙した記事が載っています。
その中に、常磐町の「岡醤油醸造」の三十五尺の煉瓦煙突が倒壊、さらに二本の煙突が半壊し、雇人が重傷を負ったということも書かれています。
また、当時73歳の高崎市長・関根作三郎氏宅の土蔵も激しく損壊し、次のような談話を残しています。
「 | こんな激しい地震は覚えがないし話にも聞いてゐない。 小さな地震にはしばしば遭ってゐるが群馬縣に地震は絶對にないものと信じてゐた。 今度のやうな大地震がある事になっては仲々心配である。」 |
この時代も、「群馬県は地震に強い」というのが通説になっていたことが分かります。
では、過去、群馬県に被害を及ぼした地震は、どのくらい起きているのでしょうか。
「高崎市耐震改修促進計画」の資料を見てみましょう。
(先の、「群馬県気象災害史」のデータと若干異なる部分がありますが。)
上の表に載っていない地震も、地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課)の資料から追記しておきましょう。
和暦 (西暦) | 地域・名称 | M | 群馬県内の主な被害 |
弘仁九年 (818) | 関東諸国 | 7.5以上 | (相模、武蔵、下総、常陸、上野、下野などで被害。圧死者多数。) |
平成二十三年 (2011) | 東北地方太平洋沖地震 | 9.0 | 死者1、負傷者36、家屋半壊1 |
これで「地震に強い」とみるかどうかは意見の分かれるところかもしれませんが、少なくとも、「大きな地震に見舞われることがある」のは、確かなようです。
そして注目すべきは、マグニチュードの大きさの割に大きな震度で高崎を襲い、激甚な被害をもたらした「西埼玉地震」ではないでしょうか。
次回は、「西埼玉地震」について、もう少しお話ししたいと思います。